◎ 日本書記や古事記よりも遥か昔に人類の三千億年前の過去及び未来について書かれた世界最古の古文書がこの日本にあることをご存知の方は多いと思います。
それがいわゆる「竹内文書」(たけのうちもんじょ)です。最近とても注目されています。(残念ながらその大半は第二次大戦の空襲で焼失。しかし全体的な内容は写本や口伝の形である程度推測可能。)

古事記よりもはるかに古く、最初は漢字ともひらがなとも異なる象形文字のような神代文字という文字で書かれ、その後やく二千年前に竹内真鳥によって漢字に書き換えられ皇租皇太神宮(茨城県北茨木市)に伝えられたその古文書によりますと、現在最古の天皇とされる神武天皇よりもはるか昔から地球には天皇家が存在したというのです。それだけでも驚きですが、さらに、

その天皇(スメラミコト)は元々“天空浮舟”(あめのうきふね)に乗って、 つまり他のはるかに進化した天体からある使命を帯び宇宙船に乗って地球に降臨した異星人だったというのです!
地球に降り立った天皇はまず肌の色が五つに異なる、いわゆる「五色人」(白、黒、黄、赤、青人)を作り、それを世界に分散させて現在に至った。
さらに天皇は五色人で満ちた世界を統治し、ひとつの大きな世界政府を作っていました。
代々の天皇は「天空浮舟」つまり宇宙船に乗り世界を巡幸して回ったというから驚きです。
やがて「五色人」の子孫から生まれた世界の名だたる聖人、例えばモーゼ、キリスト、マホメット、釈迦、孔子、老子などは全て天皇が治める聖地である日本で天皇から直々に教えを受るために来日して修行し、特にキリストなどは後に世界中の人々を説いて周り、最終的には日本の青森で亡くなったということです(実際青森にはキリストの墓が存在します)。ゴルゴダの丘ではりつけにされたのはキリストの弟だったとのこと。
はるか昔、日本が世界の中心だった。そして日本が人類発祥の地だったとは!驚くべき話!

さて天皇が天空浮舟で地球に降り立った場所というのは、現在の岐阜県下呂市萩原町にある位山(くらいやま)付近だったそうです。現在でも皇室で使う笏(しゃく)は古来この位山に自生する一位の木(いちいのき)だけで作られるのが習わしだそうです。やはり何かの繋がりがあるのでしょうか。
そんなに高くはない山なのですが、他の日本の山にはないやはり天尊降臨の地という、どこか静謐で神秘的な空気が流れているのは事実です。

私はこの山の名を聞いて懐かしく思い出すことがあります。
1990年代当時、7年間に渡って毎年夏にこの萩原町では萩原音楽祭というのが開催されましたが、その当時私は名古屋でラッハナーアンサンブルという合奏団で演奏していました。その音楽祭はラッハナーアンサンブルと萩原町が主催するもので、私も数回演奏させていただいたことがあるのです。
コンサートや練習の合間に位山付近(川上岳、舟山)を散策したことが何度かあるのですが、とても宇宙のパワーを感じる所でした。空気の透明度がとても高く下界に比べると音の通りが格段に良かったという鮮烈な記憶があります。
近くには下呂温泉や高山市があるので、とてもゆっくりできます。忘れられた太古のロマンに浸りながら温泉に入るのも良いですよ。

人類には私たちが知らない歴史などまだまだたくさんあるのでしょうね。
考えてみれば、人は猿から進化したという一般的な進化論でさえ私個人的にはどうも無理があるのではと感じていましたが、その疑問をを竹内文書は解決へと導いてくれます。

今の私たちは現代の文明は今までで最高に発達したものだと思っていますが、竹内文書によると、じつは過去には精神的にも科学的にももっと進んだ文明がいくつも存在し、それらはすべて地球規模の天変地異によって滅んだのです。ムーやアトランティスの文明もそのひとつでしょう。
そう考えると今の私たちも脆い物質社会、文明に頼らずもっと大切なものを各自見つけるべき時ではないでしょうか。
それは精神、つまり“心”です。そういう答に到達します。
竹内文書は現代人に対して何かしらの警鐘を鳴らしているような気がしてならないのです。

竹内文書についてはたくさんの書物が出ていますので見たことがない方はぜひ一度ご覧になってください。

おわり