良い音とは何か?人は音楽を聴く時、どのような音を美しいと感じるのか? とても漠然としたテーマです。

解決のヒントは、言葉を考えることにあります。たとえば、話し言葉を聴いていると言葉には無数の発音があることに驚かされます。ハキハキ喋る声、口ごもったような声、色々な言葉を聴いていると、発音の印象で人は相手に自分の気持ちを伝えようとしているのがわかります。しかし、どの言語でも共通しているのは最初の発音がその一言が話すすべての印象を決定付けるということです。音楽もまったく同じ。フレーズの最初の発音でそのフレーズの印象は決定されてしまいます。

話し言葉に音楽がプラスされひとつの芸術に昇華したものが歌であることを考えると、歌がいかに偉大な芸術であるかということがわかるでしょう。したがって最大のヒントは歌を考えることかもしれません。

歴史的に見ても器楽の発展は声楽の発展に比べればとずっと後のことなのです。
なんと言っても人間最初に自分の意志を伝えたり感情を表現しようとすればまず声を出すでしょう。唸り声であったり叫び声であったり。物を叩いたり擦ったり吹いたりするのはその後のこと。知能が発達してからのことです。乳児の発育を見てもわかります。

器楽は歌を模倣することによって発展したとも考えられるのではないでしょうか。ピアノソロ、弦楽四重奏、オーケストラなど、音楽史において器楽作品はどんどん技巧的になってゆきましたが、その根底にあるのは常に歌うことです。そして言葉を意識すること。

歌において大切なのは抑揚やイントネーションは勿論大切でしょう。しかし、なによりも大切なのは発音であり、表情や抑揚を担うのは最初の発音だと思うのです。 最初の発音の印象はそのフレーズを支配します。話し言葉でもまったく同じです。

器楽は古い時代、声を補い歌を補助するために使われました。その意味から楽器演奏は楽器で歌を歌うということなのです。したがって楽器の発音は歌で発声することと同じようにとても大事なのです。

しかし現代では、歌と楽器が完全に独立してしまっているように思います。歌は歌。楽器は楽器。歌は声の美しさばかり追い求め、言葉の美しさ意味は二の次のような演奏が目立ちます。(それはそれで美しいのかもしれませんが、、) 器楽は技術的な巧妙さや耳ざわりの良さばかり追い求めます。

良い音とは発音がいかに曲の雰囲気に合っているかということですが、それだけでは問題が解決したことにはなりません。他にも大切な問題があります。それは音の移り変わりです。音と音とを滑らかに繋げるか、意識的に不明瞭に移るか、はっきり区切って移るか、これだけでも聴く者にとっては様々に印象は変化します。
人は演奏の印象を大抵発音の質、それによる音の繋がりで
決定しているのです。実際、冷静に聴いてみると音そのものはさほど美しくない、それどころか雑音を多く含んでいて美しくない、しかし受ける印象はとても心に訴えかけるものがある。名人の演奏には多く見られます。これは音の立ち上がり、それに伴う音の流れが適材適所、的を得ている。また個性的でもある。それが人の心をくすぐり奏者自身のメッセージを発信していることに他なりません。

私達が持つべき基本的な感覚は、例として、まずはっきり発音すれば、それ以降のフレーズの音の印象もはっきりと移行します。鈍重に発音すれば、やはり重くなるはずです。これらのことを常に意識すること。それを実現させるためには、その曲の雰囲気に相応しいブレスや予備動作は必要不可欠です。

その姿勢で音楽に接すると、やはり発音の質が音楽を支配していることがわかるでしょう。したがっていい加減に発音された音楽は全体的にもいい加減な音楽になってしまうのです。

では、いかにすれば個性的な発音、その場にふさわしい音の流れで演奏できるか?それは個人的な人生経験や美意識を磨くことしかないでしょう。
しかしもっと大切なことは、今申し上げたことをいつも問題意識として持ち続けることではないでしょうか。