◎ 5 音楽に根性は必要か?

先日はある大学での根性を叩き込むスポコン紛いの授業風景を紹介しましたが、今日はそれに関係して音楽と根性の関わりについて考えてみたいと思います。

世間では何でもかんでも“根性”という言葉で解決しようとする傾向がありますね! 特に日本人はそうです。“出来ないのはお前には根性がないからだ!”とか、“根性がたるんどる!”“根性が腐っている”など、すぐ根性という言葉を出したがります。私など“根性“という言葉に逃れているに過ぎない思うのですが、日本人の大半はその言葉に一種の憧れすら抱いているのではないでしょうか。安易で便利な言葉ですものね。

つまり日本人にとって根性とは“無意味で無駄な努力+涙+汗=美”を指すのです。
象徴するのは、かつてのスポ根ドラマ、アニメ、いわゆるスポーツ根性ものです。あれは日本人の根性大好きという国民性を大いにくすぐりました。
先程のような程度の低い特訓にも確かに根性という言葉がピッタリです。

“根性”そのイメージは怒鳴り声、丹田に力を込める、そして涙、さらに安っぽい達成感(出来てもいないのに出来たという錯覚)、安っぽい友情、変な師弟愛、一見美しそうに見えて実は歪んだ仲間意識、汗、またまた涙、涙。
皆さん、こういうのってホントに好きですね!私などヘドが出そうですが。

しかし、芸術的音楽作品は本当に根性を欲しているのでしょうか。根性がなければ演奏出来ないのでしょうか?
端的に申し上げると、私は音楽に限らず芸術にとって最大の敵は“根性”だと思うのです。
芸術において根性は暴力にほかならず何物をも生み出しません。
繊細な人間の心の機微、微妙な心の葛藤を表し、大自然の法則を讃える芸術作品にとって根性という安っぽい言葉ほど不釣り合いな言葉はないのではないでしょうか。その言葉を用いた瞬間、その作品は手垢や泥で汚れてしまうのです。つまり土足で人の家に踏み込むことに等しい。モーツァルトのような天上の音楽は地に墜ちてしまいます。
この言葉によって作品の本質を歪めて伝えられた作品など無数にあるのです。

できなかったらそれでいいのです。わからなければそれはそれで仕方がない。弱さ、それが求められていることだってあるのですから。かえってそれで見えてくるものもある。また天才の心がそう簡単に凡人にわかるものでもないのです。

無意味な努力、暴力的な空元気で作品を無茶苦茶にするよりはよほどましです。根性で仕上げられた音楽(芸術)ほど鼻につき見苦しいものはないのですから。

では音楽にとっては何が大切か?
それは強いて言えば作品に対する憧れ、共感、好奇心。それのみです。

終わり