Op.2ー3
Staccato(スタッカート)

これも非常に誤解の多い言葉です。
一般的に、小さな点、小さな縦長の楔形の点、逆向きの小さな涙形の点で示されます。語源的には“短く”でしょうが、色々な意味が有りすぎてデユナーミクの問題と同じくらい説明が難しい言葉の一つです。私としては“点”という意味のドイツ語のプンクト、英語ではポイントと言う方が意味としては適当だと思います。普通、日本の小中学校の授業では、Staccatoをただ単に音を短くと教えます。演奏の現場でも、まるで熱い物に触ったように短く切って弾いたり、あるいは楽譜についたゴミのようにまったく無視されたり、とにかく不当な扱いを受けているのがこの小さな“点”なのです
フォルテをただ大きく、Staccatoを単純に短く等、音楽を単純に一面性だけで捉えることを教えた方が効率的で便利なのでしょう。しかしそれでは芸術を教えたことにはなりません。美術の授業で風景画の空は青、人の肌は肌色、と教えるのと同じことですね。
この小さな点を侮ってはいけません。解釈次第では素晴らしい効果が期待できると同時に、その音楽の本質に迫るほどの意味を持ち合わせているのです。
もちろんこの記号自体に短いという意味も含まれるる“かも”知れません。しかし音楽においてそれはある一面的なものでしかないのです。
まず人は他人に注意を促す時、どんな行動をとるでしょうか。大きな声を出す、目配せする、視線を送る、目立つ髪型や服装をする等など、色々な方法を用いますね。文章を書くとき重要な言葉には、傍点を打つ、アンダーラインを引く、等がそうです。
音楽の場合もまったく同じことです。
古くから音楽において、作曲家が自分が書いた一つの音そのものに重要性を与え注意を喚起するためにはこの記号がとても便利なものだったのです。
バッハの場合をはじめとするバロック音楽ではスラーが終わった後、ここからはもうスラーではありません、ということを知らせるためにこの点を打ち、奏者に注意を促ししているという場合もあります。バッハの無伴奏組曲第一番のジーグに出てくるスタッカートがその一つの例です。この場合など何も考えずに短く演奏してしまうと、とても変な音楽になってしまいます。長く意味を持たせて弾いた場合も同様です。ハイドンやモーツァルト等、古典派の音楽では意味はもっと多彩ですが、文章における傍点やアンダーラインのように、意味するところは更に少しだけその部分を主張して、または意味を与えて、周りよりも少しだけその音を浮き上がらせてという意味合いの方が強いのです。結果として音が短くなることもあるかも知れません。いや、点の無い音よりもむしろ長くなることさえあります。デュナーミクの時と同じく、まず先入観を取り払って音楽を感じることが先決なのです。この伝統はその後のヨーロッパに引き継がれました。

音楽の本質を理解しにくくしている原因は、例えばスタッカートは短く弾かなければならない、というような、“先入観”や“常識”。これだけだといっても過言ではありません。
この先入観や常識こそ、芸術家にとって最悪の“害毒”なのです。
賢明な演奏家の皆さん!“先入観や常識”というサングラスを外してもっと肉眼で楽譜を見てみましょう。“先入観や常識”という害毒から身体を守りましょう。もっと色々な事が見えてきますよ!

つづく