Op.2ー4
スラーについて

今日はスラーについて考えてみたいと思います。
スラーとは音符と音符との間に付ける弓のような“形”のことを指します。ドイツ語ではまさに弓(ボーゲン)と言います。同じ二つの音に付けた時は“タイ”と言ったりもします。
小中学校では勿論、音大でも、ただ単に音を繋げて、としか教えてくれません。
弦楽器ではそれに加えスラーの記号の途中では運弓を切らないで、最低2音の時はつなげて弾く(ワンストロークで弾く)。管楽器の場合では、二つの音にスラーがある場合だと、二つ目の音をタンギング“舌つき”無しで吹く、と教えます。
でもそれだけが本当にスラーとして正しい捉らえ方といえるのでしょうか?
スラーとは何か。
なぜ音を繋げなければならないのか?

説明するのは至難の技です。そこで学校では授業の効率をあげるため、そして他にもたくさんやることがあるため、できるだけ単純な提議で良しとしたのでしょう。分からないことにはなるべく触れないでおこう、という態度、こと音楽には頻繁に見られます。
音楽ではまだまだ説明が難しいことだらけ。なぜスラーを付けるのか、など最たるものです。
綺麗であれば、カッコ良ければ、そして楽しければそれで良いじゃないか、難しいこと言うなよ!と言われているような雰囲気は相も変わらずはびこっています。科学や医学には貪欲に物事の解明にはあれだけ情熱を燃やす現代人は、なぜか音楽に関しては鈍感だと感じるのは私だけでしょうか?不思議です。

話が脱線しました。
再び言います、スラーとは何でしょうか。
なぜスラーを付けるのか。
まず理解しやすいところで説明すると、スラーとは作曲家の息づかい、例えば溜め息であったり、言葉遣い、話の抑揚だけでなく、視線の動き、例えば流し目であったり目配せ、さらに喜び怒り悲しみまでも、とにかく表情そのものを表現し聞く者に直接伝えるため与えられた記号と言うことができます。それを正しく理解し使用しさえすることができれば作曲家も演奏家とともにその演奏している瞬間は生かされるのです。魔法のような道具です。
それだけ大切なスラーが適当に無造作に扱われたら一体どういうことになるでしょうか?わかりやすい例として、 ロボットの話し声を想像してみて下さい。抑揚や感情などまったく感じません。ロボットがいくら上手に話せるようになったとしても、そこからは感情など伝わってはきません。言っている言葉の意味も異なってきます。ただ音を繋げて弾けばいいというような単純なものではないのです。
それだけ作曲家の感情と密接に関わるスラーを間違って演奏すれば一体どういうことになるでしょうか。作曲家の意図したものなど伝わりようもありませんね。
ですから作曲家の書いたスラーを演奏者の都合で勝手に切ったり繋げたりすることは、許されることではないのです。
そのためには、スラーの位置が本当にこれでいいのか、常に関心を持ち続ける必要がありますし、作曲者の意図に合った楽譜を使わなければならないということは言うまでもありません。
バロック音楽のようにスラーが少なかったり書き方が曖昧なものの対処方についてはまた別の機会にお話ししましょう。

つづく