◎其ノ二
耳の話

耳の良し悪しは音楽家の生命をも左右する重大な問題です。
ベートーベンも難聴の問題では苦しみましたが、生涯に渡って偉大な芸術を創造し続けました。しかしこれは極稀な例で、我々平凡な演奏家にとっては、難聴イコール即廃業を意味します。作曲家でもピアノで音を確認しながら作曲している作曲家は耳が聞こえなければやはり仕事は困難になるでしょう。

普通健康な人でも、歳をとるとともに個人差はありますが、聴覚は衰えるようです。
話し言葉では早い言葉の動きが聞き取り難く、動きに脳が対応出来なくなります。
楽器では、まず高い周波数の音が聞こえなくなります。楽器演奏の場合、したがって歳をとれば高音が上ずって来るようです。バイオリンなど常に耳の傍で鳴っているわけで、力任せに大音量でがなりたてたりすれば、やはり一般の人より早く耳の衰えは来るでしょう。
ある程度歳をとれば、いつもチューナーで自分の傾向を把握するべきだと思います。
また、ピアノを弾いて耳が聞こえ難くなった、という話も聞いたことがあります(!?)。狭い部屋にグランドピアノを入れて毎日叩きつけるようにして弾き続けば、それは耳も悪くなるでしょう。音大のピアノ練習室などその危険性は大いにありますね。
弦楽器もピアノも美しい音色で弾いていれば耳に負担をかける心配などほとんどなく、生涯に渡って長く弾き続けられるのではないでしょうか。

オーケストラでの演奏は、かなり耳に負担をかけます。これは不可抗力的に耳を危険にさらします。オケマンの方は経験があるかと思いますが、例えばチャイコフスキー「白鳥の湖」最終幕終り部分にフォルティシモでテュッティが轟いた後、突如ピアニッシモに落ちる所がありますね。あのピアニッシモなど、耳鳴りで周りだけでなく自分の音も全く聞こえなくなります。演奏終了後もしばらくは難聴状態に。他にもそんな曲はいくらでもあります。これが嫌ならオケマンを廃業しなくてはなりません。
フォルティシモをただ音量だけで出そうとするため、このようなことが起こるのです。音量はあくまで結果であって、目的になってはいけません。
それと音楽家だけでなく全ての人に言えることは、いろいろなことにもっと耳を傾けることが大切だということです。
相手の話を聞かず自分の事ばかり喋りまくる人は実に多く、お互い喋るだけ、という奇妙なことがあちこちで起こります。一見会話をしているように見えますが、そこには本質的な会話というコミュニケーションが成り立たない、ということにもなりかねません。やはりこれでは耳の退化は避けられないでしょう。
音楽の世界でも、相手の音を良く聴き理解するということがいかに大切かが分かると思います。この習慣は確実に聴覚の維持に繋がると思います。

世間的には、余りにも騒音や自分本意の人間や悪意に満ちた大音量の音で満ち溢れ、物音を注意して聴くという本来人間の持つ能力がどんどん奪われつつあるのが現実ではないかと思うのです。
少なくとも音楽だけでなく、何事にももう少し耳を傾け、味わって聴くという習慣を持ちたいものです。
またそれが可能な社会であって欲しいと思います。

つづく