3 フォーレのレクイエム 続き

この曲の内容について見ていくと、他の作曲家が書いたレクイエムや宗教音楽とはかなり異なった特徴が見受けられます。まず普通のレクイエムで歌われる典礼文とは異なる点です。普通は1曲目が入祭唱(永遠の安息を与えたまえ)とキリエ(主よ哀れみたまえ)で2曲目にディエス イレ(怒りの日)というとても激しい曲が来るのですがフォーレの曲にはディエス イレを始め激しい曲は一曲もありません。わずかに6曲目にリベラ メ (私を許してください)で世俗的でもあり少し深刻な響きは聴かれますが、典雅さや陶酔感はけっして失われることはありません。音楽は常に天上の出来事です。

オーケストラにも特徴があります。
現在普通に演奏される1900年の版はオーケストラの編成は大きいのですが、管楽器のパートはすべて地味に書かれています。主導権はあくまでも中低音の弦楽器が握っています。ビオラやチェロはそれぞれ二つのパートに分かれて書かれています。そして普段は分かれているバイオリンにはひとつのパートしか与えられていません。3曲目になって初めて登場しますが、その効果には驚愕させられます。バイオリンはあくまでも天上から差し込む光そのものなのです。それに対してビオラ、チェロ、コントラバスは大地であり人なのです。
私など、3曲目サンクトゥス(聖なるかな)におけるバイオリンの登場のシーンを聴くと、爽やかな風や木漏れ日を連想してしまいます。夏の山道を歩いていて、サッとそよ風が吹くと汗がスッと引くでしょ?あのような感覚を覚えるのです。
この場面はとても感動的ですね。

第七曲目イン パラディスム(楽園にて)

オルガンとハープのリズムに乗って合唱のソプラノがほぼすべてのメロディーを歌います。なんという透明感!
天上から花が舞い降りてくるかのようです。見たことはありませんが、極楽におられる大日如来の額から差し込む光とは多分このような感じではないでしょうか。光に包まれながら昇天していくように全曲を閉じるのです。
昔の人はヨーロッパ人であろうと日本人であろうと、将来体験するであろう死の瞬間のイメージとして多分この曲から受けるようなイメージを持ったのではないでしょうか。また死後の安楽への願いであったのかも知れません。
私などこの楽章からは東洋的なイメージを感じるのですが、さて皆さんはどのように感じるでしょうか。