ヴィオラ奏者 西島進さん

ヴィオラ奏者の西島進さんはそんな西新商店街を抜けてその先の藤崎という所に住んでおられました。我が家から歩いても2、30分程。長年NHK福岡放送管弦楽団の団員として戦後の日本の音楽界を支えられ、また九響創立にも深く関わられた大恩人です。
藤崎のお宅は土間があり床も高く、都会には珍しく戦前からある古い民家です。板塀がありいちじくの木が植わっていました。それに猫が飼われている。金魚鉢では金魚が泳いでいる…まさに昭和の日本といいますか、祖父母の家に行ったような懐かしい気分になり、自然と足がそちらに向くのでした。今川の我が家からは近いこともあってお宅には度々伺わさせていただき、いろいろ音楽の話を聞かせていただきました。
なかでも昭和の20年代の西島さんを初めとする日本の音楽家の苦労話は感動させられます。とにかく楽譜などなかなか手に入らなかった戦後の日本、西島さんはNHKの職員ということもありNHK備品の楽譜は比較的簡単に使うことは出来たものの、やりたい曲は苦労してスコアを取り寄せ、それからさらに直接パート譜に起こして使ったとか。
これを読んでいる若い音楽家の皆さん、次の演奏会の曲をスコアから写譜して演奏しないといけない、など想像出来ますか?
よって西島さんのお宅には手書きの楽譜がたくさんありました。ほんとに山積みという感じです。
それでも足りなければ、自分で作曲してしまう。
西島さんは作曲もたくさん手がけておられました。デュオ、弦楽トリオ、カルテット、クインテット、弦楽アンサンブルさらにオーケストラ曲まで。それらはあくまで自分達仲間が楽しむためのものだったのです。

戦後しばらくはとにかく中途半端な気持ちでは音楽など楽しむこともできなかったのでしょう。常に根性が付き物だったのです。西島さんに達にとって音楽とは生きる意味そのもの、だったのではないでしょうか?
西島さんは私のためにチェロとピアノのための小品を書いて下さったことがあります。
残念ながら西島さんは10年ほど前にお亡くなりになりましたが今でもその曲は機会がある度に演奏させていただいております。私にとって宝物の作品です。曲名“チェロとピアノのためのアンダンテ”。とても懐かしくなるような日本人にしか解らない音の世界がそこにはあります。
西島さんの口癖は“ねぇ川内君、バッハは常に勉強しておきなさいよ!”でした。

 カプリッチョ OPUS1“完”