◎ 続き

習う方も工夫が要るのです。先生の言いなり、一方通行ではいけません。
曲も先生から与えられる物ばかりではなく、自分が弾けそうな曲は手当たり次第に挑戦してみましょう。時には弾けそうもない大曲に挑んでもいいと思います。弾けるひとフレーズを弾くだけでも感動します。

しかし、世の中にはその反面、上手くなるには苦痛を耐え忍ばなければダメ、楽しんではダメという考えを持っている先生がいまだに多く見られ、呆れてしまいます。私はそういった先生方が音楽の発展を阻害しているようにすら感じるのです。
やっと時間的な余裕ができ、老後の楽しみにやっとチェロを始めた人に対して、弓の持ち方が悪いだの左手の角度が悪いだの音程が悪い、はては貴方には才能がないなどと怒鳴ってどうするのですか?
楽しむためにチェロを始めたのに、怒られてばかり。どうして楽しんではだめなの?

そのようなレッスンを受けた生徒は苦痛に耐え切れず、挫折する場合も多いのですが、幸いにして苦痛にも耐え、プロになってしまう若い生徒もあります。このような苦痛だけは味わって欲しくないと、後進には素晴らしいレッスンをしてくれれば問題ないのですが、大抵は自分が受けた苦痛を生徒にも味わわせてしまうことが多いものです。これではまさに悪循環。
楽器の習得を楽しみへ持って行くには先生の力量や才能にかかっています。大抵は自分が習ったことを受け売りしてしまいます。なぜならその方が教える方としては楽だからです。怒って怒鳴っている方が断然楽なのです。
世の先生方、あなたの発したその一言、いい加減にやったそのレッスンが生徒の将来を決定着けるということを忘れないでいただきたいものです。
楽しみの発見イコール上達。それを手助けするのが教師の役割なのですから。

終わり