其ノ五

時代は古典派の時代へと移り行き音楽は貴族を含む民衆へと砂が水を吸い込むように広がっていきました。楽譜印刷技術も発達し流通範囲も広がったということもありますが、やはりバイオリンやチェロなどの弦楽器が主に家内制機械工業が発達したドイツ語圏の国々で大量に作られヨーロッパ中に広がっていったことが理由にあげられます。結果として音楽人口は増え、特に家庭で音楽楽しむいわゆる“ハウスムジーク”が広がりました。室内楽は貴族の占有物と考えられますが、やはり大多数の室内楽を支えたのは一般大衆だったのです。やがてヨーロッパ中に夥しい数の楽譜出版社が生まれ、それは現代に至っております。バイオリンやチェロは凄い人気だったのでしょう。一般大衆に好まれる音色はヴィオールではなくバイオリンやチェロの音だったのです。
巷には多数のバイオリンやチェロ教師がいたようです。当時の教則本を見ると良い教師と悪い教師の見分け方や教師の心構えが書かれていたりして現代にも相通じるものがあり微笑ましいものです。レッスンのためのデュエットの楽譜も多数出版され、それは現在でも楽譜店を賑わせています。やはりいつの時代も音楽の主流は家庭音楽、つまりハウスムジークだったのです。