◎演奏における感情の問題 音楽教師とは?3

もう一言、言わせていただけるのなら、
演奏するにあたって一番良くないのは、聞かせてやろうとか、何か表現してやろうとか、気持ちを込めて弾こうとか、俺は上手いのだ聞け!(これなど最低!音楽はアジ演説ではないのです。)などと思って演奏する事です。
これらはだれもが陥りやすい事であり、そう思って演奏した途端、その演奏は下品なもの、悪趣味なもの、はたまた“安物”の演歌に成り果ててしまいます。聞かせてやろうという見え透いた魂胆が聞く人には即座に伝わってしまうのです。凄く上手いけどどこか苛立ちを感じたり、いやみ感や不愉快な気持ちを抱く演奏などとても多いですね。勿論、指揮者にも多いです。これはプロアマ問わず常に注意すべき点です。

とにかく自分が感じた事を素直に“淡々”と弾けばそれで良いのです。
そこには、きっと聞く者に訴えるものがあるでしょう。作曲家と演奏者の気持ちとのバランスが絶妙にとられた良い演奏になるはずです。

例え、その曲が今は理解出来ないとしても、それは今の段階では分からないという感情をもった訳ですから、それはそれで立派な感想です。無心に弾いていけば何らかの発見があるものです。えてして天才の書いた曲は我々凡人には理解できないことが多いものです。でも無心になって弾きましょう。本当に大切な何かが見えてくるかも知れませんよ。
その楽しみがあるから音楽はやめられないのです。

先程も言いましたが、例え極力無表情に弾くことに努力して弾いたとしても、演奏するその人の個性はその演奏には“あぶり出し”(あぶり絵)のように溢れ出してくるものです。感情は隠せるものではありません。作曲家の心もまた隠すことは出来ないのです。心は顔に出るのと一緒です。それを感じ取り、音にするのは貴方の素直な心だけです。

何の心配もいりません!あえて自分の個性など出そうとする必要もないのです。
繰り返しになりますが、世間には、“君の演奏には気持ちがこもっていない”などと安易に生徒に言う教師がいるそうですが、それはその教師自身の無知や経験の無さ、聞く力の無さ、さらにはその生徒を教え導くことが出来なかった事を公言しているようなもので、聞いているこちらが恥かしく情けなくなる話です。そのような教師は決して良い教師ではありません。
人は、どんな苦境にあっても、何か理解してくれたり共感してくれる存在があれば、また苦しい明日を生き抜こうとする希望や原動力になるものです。音楽教師とはそのような存在であるべきです。私は、これからもそのように生徒と共感でき、希望を与えられるような教師になれることを生涯第一の目標にしています。