KIMG0253KIMG0255KIMG0257先日4月16日!
その日、夕刊の新聞を見て驚愕しました。パリのノートルダム大聖堂炎上のニュースです。この報告は本当に衝撃的でした。
 
この大聖堂は私も何度か訪れたことがあり、あの南側バラ窓の大ステンドグラスには圧倒され、見上げる度に感動を新たにしたものです。
 
熊本城の崩壊の時もそうでしたが、あの火災の映像を見ていると、何か現実離れしているというか、CG画像を見ているような錯覚に陥った方も多かったのではないでしょうか?
よくテレビの城の炎上シーンで使われるCGで見るあれです。
 
冷静に考えてみれば、どんな偉大な建造物でも絵画や彫刻でも、所詮は物体、物なのですね。
必ずいつかは壊れます。分子の結合が解き放たれる、と言ってもよいでしょう。
 
そして解き放たれた分子は別の宇宙で新しい物体を形作る。大宇宙の神秘や分子の流転の不思議を、こんな所でも感じるのです。
 
では、決して失われないものがあります。それは何か?
それは見る人のイメージです。大きなプラスの感動であったり、またその反対のマイナスのイメージであったりもします。
 
偉大な建造物でも芸術作品でも、見る人の感動が大切です。ですから、いくらその作品が失われたとしても、心には必ず感じたイメージが残りますから、そう嘆き悲しむことはありません。。
受けたイメージは決して失われることはない。一刻も早く忘れたい記憶は絶対に消えない。これも同じですね。忘れたと思っていても潜在意識に残るのですね。
これは、音楽でも全く変わりません。演奏が終わっても、あるいは一つのフレーズが終わっても、その感動は決して無くなることはありません。また自筆の楽譜が消失しても。たとえ地球がなくなったとしても。
 
もちろん偉大な物質である建造物を後生に残すことは大切なことです。しかし、失われたものは仕方がありません。またそれ以上に素晴らしい物を作れば良いのです。
それよりも大切なことは、朽ち果てることによる儚さがもたらす美。そのこともふくめて、その美しさを理解し味わい良きイメージを持つこと。
つまり大聖堂の炎上も長い歴史から見ればほんの一部の出来事。姿を変えていきながらも美を保ちつづけてきたことも、偉大な芸術作品であり続け得た所以です。
偉大な音楽作品も形を変えながらもその美しさを保ち続けたのです。
またノートルダムは単なる観光地ではなく、祈りの場であることも理解した上で、私達は鑑賞したいものですね。
 
今回の火災は美について、色々と考えさせられることがありました。
 
あの日大阪は快晴で、今ちょうど大阪市立美術館で開催されているフェルメール展を見に行ってきました。内容は前評判のように素晴らしいものでしたが、あまりの人の多さに、私には絵を見たというより、人を見に行ったと言った方がよいような「イメージ」を持ちました