バッハの音楽をただ単に美しいメロディーだけとして捉えた場合(それだけでも美しいのですが)、それはただ一つの側面しか見ていない、ということになります。
無伴奏チェロ組曲の場合、重音があったりしますが、基本的には単音のラインで音楽は進行します。しかしバッハは単旋律ではあるにもかかわらずポリフォニー(多声音楽)であるといった神業的な作曲をやってのけました。それは直前に鳴った音の記憶や余韻をフルに利用しているのです。
まず第一番のプレリュードの出だしで考えてみますと、表面的には分散和音の繰り返し、大きな音のうねりに見えますが、各弦の働きを見てみると、明らかに使命を持って動いていることがわかります。

フーゴー・ベッカー版で楽譜を見てみると1小節二つの大きなスラーが付けられ、やはり和音の固まりの進行として捉えられていることがよくわかります。もちろん和音の進行も大事なのですがバッハはそれにもうひとあじ加えました。
所々にメロディーとなる順次進行によるモチーフを加えたのです。最初の1小節だけ見てもはっきり伴奏とメロディーに聞き分けられます。