◎ 今日は楽器のサイズについて考えてみたいと思います。

弦楽器の世界では現代はもちろん、相当古い時代から身体に合った楽器を使うという事が極普通の習慣として行われてきました。
時々とても古い小さな分数のチェロやバイオリンを見かけることがあります。これから見ても昔から子供には分数楽器を与えるのは普通の事だったのでしょう。

それに対して現代のピアノはどうでしょうか。
発表会などで大きなグランドピアノを無理をして弾いている小さな子供など、嫌と言うほどたくさん目にします。みな一様に小さな手でスパルタ式に強引に弾かされている様子が伺えます。見ていて痛々しい。

元々、ピアノを始めとして鍵盤楽器という楽器は現代のグランドピアノに比べると、全体的にとても小さいものでした。ピアノフォルテやクラヴィコード、さらにチェンバロを見ても分かるように、鍵盤もかなり小さくて軽く、鍵盤の深さも今の物に比べてとても浅いものでした。
これくらいの大きさなら小さな子供でも楽に弾きこなす事ができます。ですから、昔の子供はピアノ演奏をする時は今の子供のように苦労しなかったのではないでしょうか。
幼い頃のモーツァルトも今のグランドピアノではあの天才ぶりを発揮することなどできなかったと思います。

20世紀に入るとピアノもより大きな音が出るように改良が進みました。
骨格にも鉄が大量に使われることとなり、弦の大きな張力にも耐えることができるようになると、大きな音量が出せるようになりました。結果として楽器は益々巨大化されていきました。それに反して元々ピアノフォルテが持っていた微妙な音質は次第に失われていったのです。巨大なものに繊細なものは共存することは不可能であって、大は小を兼ねるという理屈は少なくとも音楽には成り立たないからです。

そこで皆さんは不思議に思いませんか?
何故弦楽器には子供用の分数楽器があるのにピアノにはそれがないのか。
現代のピアノは子供が弾くのには大き過ぎるのです。日本人の男性成人でも人によっては大きすぎることもあり得ます。

例えば、管楽器にも子供用の分数楽器という物は存在しません。
これは子供用に小さい物を作れば良いというような単純な問題ではないのです。これは楽器を小さくすることによって吹き方から音域まで全て変わってしまうからで、物理的に小さい物は存在できないという大きな理由によるからです。例えばフルートの約半分の長さのピッコロは発音の方法ではフルートより遥かに難しく、全然別の楽器です。
ですから管楽器はある程度年齢も高くなり呼吸器など身体の機能がしっかりしなければ練習を始めることは不可能なのです。
しかしこの事をピアノに当て嵌める必要はありません。ピアノは小さくしたところで音の高さまで変わってしまうということなどありません。小さな楽器なら、かなり幼い幼児でも弾くことが可能なのです。子供用に全体的に小さく鍵盤も小さく軽いという楽器など簡単に作れると思うのです。
それをしないというのはどんな理由があるのでしょうか。不思議で仕方がありません。
ピアノは普通、大きくて重いので持ち運んで弾く楽器ではない、というのが最も大きな理由なのでしょう。
しかし、そんなピアノを作っても採算が合わないというのが本当のところかも知れませんね。
しかし普通のピアノよりも小さい楽器を同時に揃えるという習慣を作るなど簡単なことではないでしょうか。
子供に大きくて重い鍵盤や不安定な補助ペダルで苦労させることを考えれば何でもないことだと思うのです。

子供用の小さな本格的なピアノを作ろうという心意気のある楽器メーカーなど現れてくれないものでしょうかね?