◎ 3 ハッタリと勝負 続き

コンクールが音楽にとって害毒になることについて考えてみれば、コンクールで受かろうとすれば、まず受けを狙うようになります。審査員に取り入ろうとするために、受け狙い、つまりハッタリの表現になる可能性は大いにあります。
ハッタリによって作品が本来求めているものから大きく逸脱してしまった演奏など数限りなくあります。
演奏が聴衆にインパクトを与える努力が中心になってしまうのです。実際、コンクール受賞者の演奏はそんな人を威圧する演奏がとても多いと感じます。
そんな演奏をオーラを感じるという人もいますが、とんだ勘違いです。

また他人に対する見方も変化してきます。
私が聞いた話では、ある国際コンクール優勝者は演奏会でオーケストラでコンチェルトを弾いた時、オケの皆に“勝った!“と心のなかで雄叫びを上げたそうです。そのオーケストラにはかつての同級生や先輩が在籍していたそうです。
その人にとってコンクールで賞を取ることは、音楽を表現すること以前に勝つか負けるかの次元でしかなかったのです。
最終的には優越感に浸って終わり。こんなことが芸術に必要でしょうか?

そんなことはあるはずがない、とおっしゃる方もおられるとは思います。しかし弱い人間、そういうことは必ずあるのです。よく良きライバルとか言いますが、競技である以上対戦相手は憎き敵でしかないのです。
しかし、どう考えても音楽に対して勝ったとか負けた、又はハッタリをかませたり根性という言葉ほど場違いで似つかわしくない言葉はないと思うのですが皆さんどう思われますか? そのような言葉が頭に受かんだ瞬間、芸術は芸術でなくなってしまうのではないでしょうか?
それくらい芸術は脆く儚く淡いものなのです。

芸術の秋、もっと深く芸術を考えてみませんか?

終わり