何かを習うことは楽しいものです。
レッスンには、ただ楽しみ(知的好奇心を満たすこと)だけを求めて来られる方もいますし、そもそも大手の音楽教室のようにグループレッスンなどで皆でワイワイと楽しめることだけを売りにしている場合もあります。
 
もちろん、教師にはお金を払って習うのですから楽しく弾かせてくれるべきで、誰も苦しいだけのレッスンに金など払いたくないでしょう。
 
しかし、本当のことを言えば音楽をやることは苦しいことなのです。
(こんなことをおおっぴらに言えば、誰も生徒は集まらないでしょう。)
しかし、チェロの習得など難しく、苦しく、苦労の連続であることは確かです。
 
なぜ苦しいかと言えば、端的に言えば、まずこれで良いという到達地点が見えないからです。これで完成、完璧という領域が存在しない。それを目指して努力するのですから、暗中模索。苦しいに決まってます。結果が決まっていたら、それを目標に頑張ればよいだけで、何の苦労もありません。しかし、あるのは達成した時の喜びのみ。
 
音楽の苦しみは、作り上げる過程におおいて楽しみと感じられる瞬間があるから堪えられるのです。また苦労や難しさそのものが楽しいとも言えるでしょう。
あるいは、苦しんでいる自分に酔いしれる、という心理もあるかもしれません。
マゾヒスティツクな喜びは絶対あると思います。これは武道や格闘技、スポーツにも通じることです。しかし、それらは最終的には勝つことだけがが重要視されます。しかし、音楽の世界は遥かにそれらを超越しています。音楽をはじめ芸術には勝ち負けという単純な価値観は存在しません。
 
音楽の楽しみとは、作り上げていく過程で、その作品が持つ偉大さや美しさの妙に触れる、それが楽しいのであって、それが最も大きい領域を占めているのす。
完成に向けて、資料を漁る、指使いを考える、楽器を調整する。これらはすべて楽しみなのです。
例えば、ひとつのコンサートで言うと、本番に向けて練習しますよね?
その過程で色々なことを発見します。苦労の末には新たな発見がある。それがまた新たな苦労を呼び込むのです。その繰り返しが楽しいとも言えるでしょう。音楽をやる楽しみなのです。
 
ですから、本番はいろんなことを考え楽しんだ結果なのでですから、たとえ上手くいかなかった(自分の感想において)としても、悔いはありません。
 
たとえば、演奏が終わったとしても、何か割りきれない、漠然とした気分。あそこはああしておけばよかった、こうしておけば良かった。その思いが常につきまとう。しかしこれが芸術。これが新しいものを生み出す原動力。それを感じることができれば、貴方は芸術的な素養がある、と言えます。
 
チェロの習得も、その過程における苦労を楽しみに転換することができれば一生の目標や生き甲斐となるでしょう。
 
そのお手伝いをするのが教師なのです。
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