其ノ一

チェロを習っている皆さん、こんにちは!

今回はヴィブラートについてお話しいたします。
皆さんはレッスンの時にヴィブラートについて、どのように習われましたか?

ヴィブラートをかけて豊かな音でチェロを弾くことは、チェロを習う人にとっては憧れですね!

しかしヴィブラートを教える方にとっては、こんなに難しいものはありません。弾く人の音楽的センスに深くかかわるからです。
その辺のプロでも、何も考えずにただ漠然とヴィブラートをかけている人は結構多いものです。
何も考えず自動的にヴィブラートがかかってしまうなんて、アル中患者に特有な手足の痙攣と同じで、困ったものですよね。モーツァルトのお父さんも最近そのような常にヴィブラートをかけっぱなしにして弾いているバイオリニストが多い、と嘆いています。当時からヴィブラートは弾く人の感性に委ねられていたため、問題も多かったのでしよう。

そのような方は、まずヴィブラートをかけない練習をすべきでしょう。
演奏する曲の各部分において、または弾く弦によって、どのようなヴィブラートが適切か、常に意識的に理性でコントロールされてかけられるべきです。

まず、人はなぜヴィブラートをかけたくなるのでしょうか?
よく考えてみたら弦楽器のヴィブラートなど、どこか滑稽というか変な動作ですよね。私が子供の頃、テレビなどでバイオリニストが左手を痙攣させて弾いているのを見て、とても不思議に思った記憶があります。

日本の楽器、例えば尺八や琴でも音を揺らす奏法はありますし、日本民謡でも名前は知りませんが、ヴィブラートに似たようなものはあります。中国でも同じです。
やはりヴィブラートは良く通る音で相手に気持ちを伝えたい、または、銭湯で唄うおじさんの例でもわかるように、自分の声や奏でる音に酔いしれたい、という人間の持つ世界共通、素朴で本能的な感情から発達したものではないでしょうか。手拍子に近いものです。
特に演奏の場が残響の少ない日本では、より良く響かせる必要があるため、結果として振幅の大きな揺れとして発達しました。
しかしヨーロッパでは、ヴィブラートを常にかけて弦楽器を弾く習慣はそんなに古いものではなかった、ということを知っていただきたいと思います。管楽器、例えばフルートでも20世紀初頭の頃でもノンヴィブラートで演奏するのが基本でした。弦楽器ももちろんそうです。
なぜなら、ヨーロッパの演奏の場では、特に広い石造りの宮廷や教会では、あまりヴィブラートをかけなくても十分に音が通るため、東洋とは違った方向でヴィブラートの観念は発達していったのではないでしょうか。あくまで芸術表現の手段として利用され変遷していったのだと思います。
音楽的な趣味は時代と共に変化します。
チェロでも古い録音を聞けば、録音の悪さを考慮にいれても、楽器の音が今とは別の次元の響きがしているのに気が付きます。
良く注意して聞くと微かにヴィブラートがかかっている状態です。その半面、グリッサンドやポルタメントのような音をずり上げたり、ずりおろしたりする奏法はやたらと目立ちますが…
このように時代とともに音楽に対する演奏者や聴衆の好みは確実に華美なものへと変化していくものなのです。

つづく