弦楽器のボウイング(弓遣い)におけるアップとダウン(上げ弓と下げ弓)にはそれぞれ明確な個性があります。これは管楽器やピアノ、打楽器にはない大きな特徴でもあります。
 
まず簡単に説明すると、アップは息を吸い込みダウンは息を吐く、またはアップが緊張ならダウンは緩和、、不安定と安定、問と答え、裏と表、等々。弦楽器という楽器は演奏する事自体、常に二面性で成り立ち、それ自体自然現象そのものなのです。但し、ヴィオラ・ダ・ガムバのようなヴィオール族の楽器では、弓の持ち方や楽器の構造の特性上ヴァイオリン族とは反対になります。
 
アウフタクト(上げ拍)から始まる曲はアップて始まることもありますが、一拍目から始まる曲は曲は大抵の場合、安定感のあるダウンから始めます。本能的にも一拍目はダウンで弾きたくなります。アップで弾けば当然次はダウンで弾きたくなる。
 
しかし、ちょっと捻って考え、一拍目を不安定、緊張感のあるアップで始めてみると意外な発見があり、普段聞きなれない効果を得る曲もあります。
 
添付した楽譜は皆さんご存知、バッハ無伴奏チェロ組曲第4番の冒頭です。これはダウンで始めるのが普通です。
出だしの変ホの音など安定感のあるダウンで始めたい、というのが人情でしょう。しかし、あえて一拍目を緊張感のあるアップで始めてみると、どうなるでしょうか?
今まで弾いたり聴いたりしているバッハとは全く違った世界が浮き上がって見えてきます!
 
一拍目は曲の雰囲気を支配する場合が多く、特にバッハの無伴奏第4番などC線の重厚な響きを全面に出した演奏が多く、また大抵そのような演奏を目指します。
 
しかし、実際に弾き進めていくと、この音楽、ただ重厚なだけではなく、もっと華奢で壊れそうな語り口で語られても良いのではないか、とアップで弾き始めることによって気付かされることが多いのです。
 
そして、強拍をアップで弾くと弱拍がダウンになります。
結果として、アップはダウンを引き寄せるため、多くちりばめられているダウンで弾かれる内声が聴き取りやすくなるという利点もありますし、強拍がアップになることによって全体が緊張感に支配され、バッハが書いた絶妙な音楽がより実感しやすいものとなります。
一見、突拍子もないやり方のように思われるかもしれませんが、バロック時代のイタリアでは、もし一曲中に繰り返し記号があり二回目を弾く時には反対のボウイングで弾くというのは普通のやり方だったのです。
特にバッハの作品では組曲4番のよう同音反復の曲が多いものです。このような時にボウイングを全く反対にして弾いてみると、コインの裏表のように全く異なる世界が浮き上がって見えてくるものです。KIMG0824