◎ 中田喜直。 言わずと知れた日本が誇る偉大な作曲家です。いや、童謡“めだかのがっこう”の作曲者といった方がピンとくるのではないでしょうか。“早春賦”を作曲した中田章のご子息でもあります。
私が最も尊敬する作曲家の一人です。

ピアノ曲、声楽曲、合唱曲など多くの優れた作品を残しましたが、その作品は内容の素晴らしさに対して、現在コンサートでは合唱曲が演奏される事は多いものの、数多いピアノ曲や歌曲はそれ程多くは取り上げられていないように感じられ、私としては残念に思います。

私と中田喜直の作品との出会いは、私ががまだ音楽高校の生徒だった頃に遡ります。それまで中田喜直の曲といえば、“ちいさい秋みつけた”や“夏の思い出”くらいしか思いうかばず、“めだかのがっこう”が中田喜直の作品だと知ったのはもっと後のことでした。
私が通った大阪音大附属高校には合唱の授業があり、授業は一応混声合唱を中心に行われることになっていたのですが、なにせ当時音高には男子生徒が少なかったため、混声合唱をやることが非常に困難な状態でした。(授業は時々大学生も駆り出されていました。)
そんな状況を見かねた先生が男子生徒に一人一曲ずつ女声合唱曲を指揮する機会を与えてくださったことがあります。その時、先生から課題として与えられたのが中田喜直の女声合唱の曲でした。曲は“ぶらんこ”という小品です。私にはそれまで指揮の経験など全くなく、腕をただぶらぶら動かしているだけなのですが、聞こえてくるその歌詞の雰囲気に合った優しいメロディーに完全に魅了されてしまったのです。
メロディーと歌詞が違和感なくスーッと心に染み込んでくる、といった感じでしょうか。
それから、考えることは中田喜直のことばかり。早速、合唱曲のレコードを買い求めたのは言うまでもありません。

中田喜直の声楽作品に共通しているのは、日本語という言語が彼の美しいメロディーによって完全に活かされている、ということ。
または日本語によって自然に美しいメロディーが導き出されていると言っても良いでしょう。彼のメロディーからは日本の美しい自然や日本人の本来持つ細やかな感性まで感じさせられます。
 
私の特に好きな曲は女声合唱組曲“蝶”。
そして同じく女声合唱組曲の“美しい訣れの朝”。
これらの作品に見られる特徴は日本語という言語と西洋的音楽技法との完全なる融合ということではないでしょうか。
一般的に日本語は西洋音楽のメロディー(音階)には合わないなどと言われたりしますが、中田喜直の作品を聴く限り全く違和感を感じさせないばかりか、そのメロディーが日本語で歌われることが当然であるとすら感じさせるのです。
私など、彼の作品を聴く度、日本語の響きってほんとに美しいんだなあ、日本人でよかったと感じてしまうのです。

“蝶”は日本の自然の美しさ厳しさ、さらには人生の厳しさを表し、“美しい訣れの朝”は何気ない日本の庶民の感性、特に日本女性の細やかな心情が優しく綴られていて共感の渦に巻き込まれます。この曲の3曲目“お母さん”、4曲目“さよならぼくチン”、5曲目“赤い風船”、は感動的で 特に“お母さん”など涙無しには聴けません。思い浮かべるだけで涙がこぼれます。あの静かではあるものの切々と語りかける言葉の凄まじさには圧倒され息の根を止められます。まさに“言魂”、音楽と言葉との完璧な融合を感じるのです。もし外国人がこの作品をローマ字読みで歌えばどんなことになるか、はたして我々日本人と同じ感動を得ることができるのか。それは私達が外国の曲を歌う時と立場は全くおなじだと思うのです。その国の国民と全く同じ感動や共感を得ることができるのか、考えれば興味は尽きません。
とにかく中田喜直の作品からは優しさ、物事に対する慈しみの心だけを感じるのです。
柔は剛を制す。本当の強さとは優しさだったのですね。怒鳴るばかりが音楽ではないのです。

中田喜直の音楽を聴くということは西洋音楽に慣れきった耳には新鮮な感動であり大きな喜びです。
また日本語の美しさを改めて認識し、美しい日本語を大切にするきっかけにもなるのではないでしょうか。