◎ 続き

この世全ての事象が記憶によって司られているとも言えるのです。記憶とは原因であり陰の部分。記憶、それに伴う行動、それはつねにペアで存在します。前の行動の記憶があるからこそ、次の行動が起こるのです。どんな原始的な生物でもその原理によって生命活動を子孫に伝えていきます。

芸術は他の物事と比べると精神面という陰の世界が支える比重が高いのです。高い所以芸術に昇華したのです。
音は出す度に記憶になっていきます。人は一瞬先は闇だと言われるように、私たちは僅か一秒先の音も絶対に聴くことはできません。つまり現在の結果で判断しているに過ぎません。記憶を先へ先へと繋いでいるのです。
作曲者が思った事が音符になり、その音符が演奏によって更なる記憶に繋がっていく。

では人は過去を振り返ることしかできないのか?
人には予知能力はあります。想像することはできるのです。この世とは砂時計のようなもの。ちょうど真ん中のくびれが現在です。落ちてくる砂を予測することはできます。

上手い演奏とは心のなかで上手く感じることができたという結果であって、もしもそれが下手な演奏だったとしても演奏者としては心のなかではそのように(人から見て下手な演奏として)感じただけなのかも知れません。実際、思うようには弾けないということは単に、その曲に対する理解不足が原因であるということは多いものです。とにかく出てきた音は思った事の結果でしかないということを認識すべきです。

しかし心のなかでは先の音も想像することはできます。予想は立てることができるのです。砂時計の落ちてくる砂の量や質は予測できるはずです。
例えば、計算して投げたボールの着地点はほぼ正確に予想することはできます。適当ではどこに落下するかわかりません。
着地点を予想し投げる力を計算して投げることができる、このように予想が正確に立ち、過去と未来、内面と外面、記憶と予測とのバランスが絶妙に取れた演奏こそが良い演奏だといえると思います。

また人は勝手なもので、予測通りだと退屈感を覚え、予測を裏切られると苛立ちを感じます。また時には程よく予測を裏切られることが快い刺激になったりするものです。結局、絶妙のバランスが作品にも演奏にも求められるということなのではないでしょうか。