◎ 大好きな“音”がいくつかあります。
それは、フルート奏者のマルセル モイーズの音、バイオリンのフリッツ クライスラーの音、チェロのカザルスやピアティゴルスキーの音。
この人達の音は古い録音でしか聴けないのが残念です。
しかし録音は古くても彼らの音からは、たった1音を聴いただけでも、それだけでひとつの生命体のような存在感を感じるのです。音が息づいている。それが伝わってきます。
彼らの演奏には現代の演奏家にはない確実な“何か”があります。ただ“何か”であって言葉にするのがとても難しいのですが、あえて言葉にすると、なんの奇もてらわない、力まないということでしょうか。あの音を手に入れるには大変な努力があったのでしょう。
生徒などには、力まないで、とか簡単に言ってしまいますが、本当は凄いことなのです。
彼らの演奏は聴いた感じでは、テクニックの凄さを感じさせないというか、素朴でとても自然に聴こえます。これくらいなら自分にもできると思って真似しても、全くサマにならない、ということなどよくありますね。実際にさりげなくテクニックを感じさせずに弾くのはとても難しいことなのです。そんなとき、彼らは本当の天才なのだと実感します。

彼らが生きた19世紀末から20世紀中頃までは数多くの天才達が登場し、特異な期間だったと思います。これは18世紀末から19世紀中頃に数多くのまるで神のような作曲家が出現した事とどこか似ていますね。
よく考えてみると20世紀から21世紀にまたがる近年、あのような天才的な演奏家や作曲家に出くわすことなどないに等しい。いったいどうしたのでしょうか。

誰が弾いてもそんな大差はなく、皆どんぐりの背くらべ。
凄いという評判や宣伝を聞いて実際に聴いても失望することばかり。
背後に見えるのは聴かせてやろうとする下心のみ。
指が速く動いて多分上手なのでしょう。でもそれがいったいどうしたというの? それで終わってしまっている演奏ばかりじゃないですか。
現在、心が感じられる演奏なんて本当に存在するのでしょうか。
希望は持てそうにもありません。

それでは生徒を正しく導き、立派な演奏者へと育て上げよう。それしかない。それが最善の道だ!なんて思ったりするのです。
でも、そんな師匠の気持ちを生徒は分かってくれない。それが現実なんですよね!
おっと、それが奇をてらっているという事じゃないの、とおっしゃるのでは?

そんなことを考えながらレッスンに励み、自らも少しでも上手くなれるようにと練習する毎日です。

終わり