その後、次第に生徒も増え、ある程度教えることにも慣れてきた私は、さらに 多くの生徒を教えていくことになりました。
九州交響楽団の事務所には一般の市民からも、多くのレッスン依頼が寄せられます。
事務所は、それを条件に合った楽団員に斡旋するのです。我が家には常に十数名の生徒が出入りしておりました。
あの頃、九州大学や福岡大学の学生オケのメンバーもたくさん教えていました。
福岡の学生オケは先輩の言うことは絶対で、先輩は後輩達を強制的にレッスンを受けさせるのです。そして私は学生達を破格の安いレッスン代で教えることになりました。

でも皆凄く練習していました。何というか目つきが違ってました。そして皆上手になりましたよ。 正月には、我が家で九大と福大合同で新年会をやったこともあります。それはそれは楽しかった。
学生のパワー、あの力を出し切るというパワーは、若いからこそ出来ることなのです。スポーツをやっているという雰囲気もありましたが、とにかく初めてチェロを持った学生に、私でもあまり弾く機会がないマーラーやシベリウスのシンフォニーを有無を言わさず弾かせるのですから、怖いもの無し、凄いの一言につきます。言っておきますがマーラーやヴァーグナーなどロマン派後期のオーケストラ曲を弾くのは、コンチェルトを弾くより遥かに難しいのですよ! チェロの構え方や弓の持ち方をレッスンしながらマーラーもレッスンする!私自身鍛えられました。アイデアの“引き出し”をたくさん持てたのも、あの頃の苦労に因るところも多いです。
私もあの頃は学生達とほとんど年齢も変わらなかったので、一緒に頑張れたのだと思います。弾けないことに関しては私も同じですから。しんどかったですが、それは楽しい経験でした。

今でも昔のように学生オケの指導もする機会もあればいいな、と思ったりもします。
学生とは昔のような付き合い方はできませんが。