バイオリン教師!?

留学から帰国後、私は郷里の大阪に落ち着きフリーのチェロ奏者として再び活動を始めました。
関西の主要なオーケストラの客演、移動音楽教室専門の楽団、録音の仕事等何でもやりました。
この頃は世間はバブル真っ只中で景気が良く、音楽界も潤っていました。私も演奏の仕事が多く、肉体的にも精神的にもきつい日々を過ごしておりました。そうこうしている間、名古屋のラッハナーアンサンブル協会という団体と出会いました。その後、この楽団との付き合いは実に20年にも渡るのですが、様々な経験をさせていただきました。
あれは忘れもしません、1995年阪神淡路大震災の発生です。
ちょうどその時ラッハナーに在籍されていた宮浦美紀さんとおっしゃるバイオリン奏者が神戸の三宮で才能教育の講師としてバイオリン教室をされていました。教室の建物は被害そのものは免れたものの、宮浦さんの自宅は全壊、生徒達もバラバラの状態でとても教室を続けることなど不可能なことでした。
幸い二十名ほどの生徒だけは教室に残りましたが、宮浦さんはこの機会に郷里の松本市に戻ることになり、教室も才能教育研究会から解体されました。
つまり生徒だけか取り残されてしまったわけです。
そこで宮浦さんや生徒の父兄から依頼を受け、頼まれると断ることが出来ない性分の私は、彼女の後を継ぎ何とバイオリンを教えることになったのです!