“放出” んッ? ホーシュツてなんなん?

“放出”これは地名です。なんと!ハナテンと読むのです。
私は5歳のころから途中十年ほどの中断の期間はあったものの、ずっと大阪市東部にある鶴見区の放出に住み続けてきました。
放出という変わった地名は諸説ありますが、水が流れ放水される低湿地帯という意味があるそうです。
大阪市東部中河内地方、このあたり太古は海で、淀川から運ばれた堆積物で陸地になり、土地は低く平坦で稲作には最適だったのでしょう。
駅の付近は昔から少しは開けていましたが、私が子供のころ、私の家のまわりにはまだ田畑が広がり小川が流れていたり蓮根畑(大阪東部は昔から蓮根の名産地でした)や菜の花畑がありました。“鉄道唱歌”第五集にはこの町、放出の風景も歌われ、駅前にはその歌碑もあります。『♪咲くや菜種の放出も、過ぎて徳庵住道、窓より近き生駒山、手に取る如くそびえたり』。なんとも間の抜けたというか芸のない歌詞ですが、興味のある方はどうぞ見に来てください。

ウ~ン!放出なんかに興味ある人なんか誰もいないか!
でも川内昌典というチェロ弾きが“棲息”する町として覚えておいてくださいね!

実際、明治時代までこのあたりは放出村と呼ばれていました。昭和の頃は製造業、町工場の街としても栄えました。母の実家もこの町にありましたが鉄工所を営んでいました。
放出駅すぐ東側には中高野街道という古くからある街道が南北に通っています。一方通行の細い道ですが辿っていくと高野山に行けるそうです。沿道には寺や神社、それに古い家屋が今でも点在していて村の雰囲気が今でも微かに残っています。でも古い民家は維持が大変なのでしょう。この数年間でかなりの数の古民家がなくなってしまいました。淋しいかぎりです。古い家が残せない社会的なシステムに取り込まれているのですね。
しかし開発はされたとは言え、放出は雰囲気的には田舎のままなのです。倉敷や奈良、京都など意識的に大切に守られてきた古い街はそれはそれで素晴らしいのですが、それはあくまで特異な例であり、庶民の生活と共に変化してきた放出のような極普通の片田舎の町にもそれなりの存在意義があり、すべての日本の町が本来辿る自然な姿を見せてくれているのだと思いうのです。どの街でもそれがたとえ世代が変わり、人が変わり、どんなに開発されたとしても、町の雰囲気まで変わってしまうことはありません。不思議なことだと思います。
放出の“空気感”はどちらかというと、やはり土や泥の香。つまり泥臭い。人は“せっかち”で町はつねにザワザワしている。
芸術やクラシック音楽とは一見無縁とも思える町ですが、でも演奏家としてこんなに活動しやすい町は他には知りません。音が出る仕事は周りが静寂過ぎるとかえってやりにくいのです。究極の静寂感を得たいのなら誰も住まない山奥へ行くべきです。
例えばスイスの町。
表面的には清潔で静寂。治安も良い。しかし、道側には洗濯物ひとつ干せない。窓には花を飾らなければならない。外に聞こえる楽器の音はすべて騒音で“警察への通報の対象でしかない”。(一般的にスイス、ドイツ、オーストリア人は日本人に比べて騒音には遥かに敏感です)私など大阪人から見ると、これはこれで住みにくいものです。
でもハナテンではうるさいのは“お互い様”、という雰囲気が常にどこかにある。住民は譲り合い理解し合っているのです。
私はこの放出の町が音楽家の安住の土地になればいいと思っているのです。ツューリヒの次くらいの音楽の町になればいいのですがね。