◎ 続き

歌で満ちあふれた音楽を好む人は大抵、バロックやヴィーン古典派の作品には目もくれません。。
だって迫力がないんだもの、だとかメロディーがワンパターンで退屈だと言うのに決まっていますから。
中には押し付けがましくメロディーが美しくない曲ばかり書いたベートーベンなんか二流の作曲家でベートーベンのオーケストレーションなんか虚仮威しだ、と暴言を吐く輩さえ出現する始末。

彼らはこれらバロックや古典派の大家の作品の捉え方を、恥ずかしくも自分の捉え方のセンスの無さや理解できていないことを棚に上げて、その自分の幼稚なセンスに当て嵌め、歌がないだとかメロディーが美しくないとただ吠えているに過ぎないのです。図々しくも天才達の表現方法を自分の無い才能に当て嵌め色眼鏡で見ているだけなのです。

例えばベートーベン。彼の作品を本当に楽しむためにはセンスや言い方によっては優れた才能が要ります。なぜなら私達は凡才なのですから、本来彼の作品を理解しようとすれば彼と同等の才能を必要とするのかも知れません。
まず我々凡人でも感じることができるのは、彼の音楽にはそこらへんに溢れているような安っぽいメロディーなどは登場しないということです。
そこらへんのくだらない歌に馴らされた安物の耳には、それが偉大なベートーベンの言葉だということが入ってこないのです。そう、彼らの音楽は言葉でありメッセージなのです!
これをメロディーと感じてしまうから間違いを起こすのです。
高い霊格を持つ高位の霊の姿が邪悪な悪霊には眩しくて見えないという話に似ています。悪霊も改心を続けると次第に自分自身も浄化され、位の高い霊界に昇ることができ、やがては偉大な指導霊の言葉を少しずつでも理解できるようになるのです。
改心し純粋な目で見直す。
これが唯一彼ら大作曲家に対する私達凡人の取れる付き合い方だと思います。

話が脱線してしまいました。
ベートーベンの音楽はベートーベンの語りであり喋りなのです。
人の喋りには抑揚があるでしょう?あれが音楽と最大に結び付いたのがベートーベンの音楽なのです。ベートーベンの音楽はメロディーに見えて実はメロディーではないのかも知れません。ですから、安っぽい歌のようにベターッと塗り潰すように弾いてしまえば何も見えてこないのです。しかし、そんなことをなにも知らなくても、ベートーベンの偉大さは何となくわかる。これが凄いところですね!これは他のバッハやハイドン、モーツァルトにも同じことが言えます。
彼らは音楽で人生を語っているのですから、なんど聴いても新鮮な気分で聴けるのかも知れませんね。バロックからヴィーン古典派にいたる短い期間、これは音楽史に於けるひとつの奇跡だと思います。彼らが表現するものは歌だけではなく聴覚、視覚、運動、思考(無数の感情)及びすべての生命活動を表しています。しかし最も重要なのは大宇宙を表現している事なのではないでしょうか。