◎ これはドボルジャークが晩年に書いた傑作オペラの名前です。全編色濃いドボルジャーク節で貫かれています。ドボルジャークのメロディー砲、炸裂!
全体的に叙情的でメロディーがとても美しく、ドラマが緊迫する場面もその美しさに変わりはありません。特にオーケストラの弦のパートの美しさはさすがドボルジャーク!
彼はヴィオラ奏者でもありました。弦楽器の効果的な鳴らせ方はお手の物です。
全体的にスラブ民謡の精神に貫かれ、同じくオペラをたくさん書いたヴァーグナーの音楽などに比べますと、ある種の無骨さというか泥臭さがありますが、それもどこか人懐っこくこのオペラの大きな魅力にもなっているのです。
このオペラが初演されたのは1901 年、日本では明治中期、意外にもリヒァルト・ヴァーグナーが大作ニーベルングの指輪を初演(1876年)した時よりかなり後の時代です。
当時ヨーロッパの音楽界は後期ロマン派から印象派、さらに現代音楽に移行しようとする時期にあり、マーラーやドビュッシーの活躍、シェーンベルクが“浄夜”を書いた時代でもありました。
難解、複雑、奇抜な曲が持て囃され、誰にでも理解できる単純で美しい曲は敬遠される風潮にありました。
その時代にドボルジャークはこのような叙情的でメルヘンチック、メロディックな曲を書き続けたわけですから『遅れて来たロマン派』つまり時代遅れと軽蔑の意味も含めて言われたのは当然のことでしょう。しかし世間の波に飲み込まれることなく、自分の信ずる道を貫き通したドボルジャークはやはり偉大と言わざるをえないと思います。
現代でも作曲界ではその風潮には大差がなく、単純で美しく子供にでも解るということは悪でもあるのです。
作曲コンクールの出品作品を見てごらんなさい。これでもかと言わんばかりに無調音楽ばかり。聞いているとうんざりします。私など現代の無調性音楽に芸術の素晴らしさや喜びを感じる瞬間など皆目ありません。しかし音楽など独りよがりなものだという声が聞こえてきそうですが、通にしか解らないような音楽が本当に良い音楽だと言えるのでしょうか?

さて、このオペラのストーリーは元々スラブの神話によるもので、アンデルセンの“人魚姫”も参考に台本は書かれました。水の精と人間との悲恋の物語(最後は死によって救済されます)。ヒロインの名が水の精“ルサルカ”。

このオペラはヴァーグナーのそれと同じように、アリアや重唱が一曲ずつ独立してはおらず、一つの幕で完結するように書かれています。
因みにモーツァルトなどの古典派オペラはアリアやアンサンブルは一曲毎に完全に独立しており曲と曲との間はレシタティーフで繋ぐという手法で書かれています。これは後の時代の『カルメン』とか『椿姫』などでも踏襲されました。
ルサルカの有名なアリア『月に寄せる歌』、この曲も当然全体の流れの中で歌われるのですが、ルサルカのアリアでは実際にはどういう訳か歌の終りで一度流れを止め(無理矢理、和音を終止型に書き変え)拍手を受けるのが通例になっています。
そこまでして拍手をもらいたいものでしょうか。また拍手をするべきものなのでしょうか? 私個人としては全体的な雰囲気の流れまで止めてしまうような気がしてならないのですが。

ドボルジャークはシンフォニーや室内楽などの器楽曲の作曲家というイメージが強いのですが、オペラも10曲書いているのです。
あの美しい前奏曲を聴けばそのままドラマの世界に引きずり込まれ最後まで一気に聴いてしまいます。
とにかくわかりやすく美しいメロディーで満たされたメルヘンチックなこのオペラ、童話を読むような気分で楽しみたいものですね。

終わり