以上、合奏することの意味がわかっていただけたと思います。
したがって、特に旋律楽器のレッスンは古くから合奏を中心として進められてきたのです。合奏の一番小さな形態は何でしょうか? それは二重奏、つまりデュエットです。
デュエットを通じて昔から生徒は音楽の楽しみ方を知り、楽しむために必要なテクニックを磨き、さらには人との和を学んだのです。
合奏が音楽の本流である限り人と合わせるデュエットをしないレッスンなど考えられないと思いませんか?
現在、音大などではレッスンと合奏の授業が分けておこなわれていますが、全く意味不明です。正しく個人レッスンをするとき、生徒にデュエットを通じて合奏の極意を体験させれば別に合奏の時間を取る意味がないと思うのです。いかに演奏の基礎的意味合いがわかっていないかの表れだと思います。

合奏をすることにはもうひとつ大切な意味がありす。
それは、合奏することによって自分にはない新たな響きが醸し出される、ということです。それは、自分にはないのではなく元々秘めているもの(良いものであれ悪いものであれ)が人と合わすことによって表面に浮き出されたに過ぎないのす。ちょうど催眠術によって潜在意識がひきだされるのと似ています。その効果のため昔から旋律楽器のレッスンには合奏が盛んに取り入れられました。

昔の良い先生は、わざわざ生徒のためにせっせとデュエットの曲を作曲しました。
その結果、膨大な量の作品が今日にまで残され、現代の生徒や教師はその恩恵にあずかっているのです。その作品のほとんどが芸術的にも優れたものです。

ああ、なんという幸せ!

この幸せを私達は有りがたく享受させてもらいましょう。

私の生徒にこんな人がいました。デュエットをするといつも自分がしていることと全く違うものになってしまう。それが嫌だと。

この言葉を聞いてびっくりしました。
アンサンブルの良い効果が早速表れているではないですか! 自分の個性が浮き彫りにされているのに、それがこの生徒には理解できないのです。説明してもわからないその生徒が離れていったことは理解できるでしょう?

ひとりで3時間いくら必死に練習してもデュエットのたった10分にはかないません。ひとりで3時間の猛練習は疲労感の肉体的記憶しか生み出しませんからね。
デュエットで浮き彫りにされた欠点は特に弾かずとも少し思い返すだけでも確実に修正され、さらに上達します。

合奏は気づきを与えてくれるのです。私達は音楽をやる以上合奏をすることによってしか向上することはできません。これは断言できます。さらに合奏は人格も育ててくれます。人を思いやることを教えてくれるのです。
あらゆることを学ぶチャンスがそこにあります。
世界は合奏によって成り立っていると言っても過言ではありません。つまり合奏はこの世のあらゆる現象の雛型だということです。

終わり