◎3 第九の演奏

押し並べてオーケストラの楽譜を演奏することは難しいのですが、ベートーベンの曲ほど難しいものはありません。一つのパターンというものが無いからです。例えば始めに出てきたある部分が後半では全くパターンが異なっていたりします。また他のパートに邪魔されて休止符を数え間違い、出遅れたり飛び出したりしてしまう事も多く、つねに試されているような気になります。油断しているとベートーベンの思う壷です。音そのものも在るべくしてそこにあり、省いたり誤魔化して弾くということを考える余地など全くありません。全く無駄というものが無い。だから難しいのです。演奏後にはいつも何らかの悔いが残り達成感を得にくいのがベートーベンの音楽です。それを一人で弾くならまだしも、同じパートを複数の人で弾くのはとても難しくストレスを伴います。
それにあの緊張感、特にチェロ、コントラバスの第九第三楽章の終わりから第四楽章にかけて、さらに第四楽章歓喜のテーマが始まるあの緊迫感。でもそれがやがて歓喜の大きなうねりに育っていく、あの大スぺクタクル。緊張はしますが何度弾いてもシビレます。
ベートーベンの交響曲は強いていえば三本の足で立っているようなもの。足一本欠けるとすぐさま転んでしまう。危うさを伴うのです。それが四本足だとどうでしようか。一本欠けてもなんとか立っていられます。
無駄というものを持ち合わせない三本足のベートーベンに安定を求めると、あの緊張感も失われ、平凡な音楽になってしまったことでしょう。