◎9 ドイツ文学者 小塩節(おしお たかし)氏

ここで少し小塩節氏のことをお話ししましょう。ドイツ語を少しでも勉強したり、ドイツ音楽やドイツ文学に興味のある方はドイツ文学者の小塩節さんの名を一度は聞いたことがあると思います。
私など、NHKのテレビドイツ語講座で小塩さんの素晴らしい講義を見てドイツ音楽に興味を持ったようなものです。小塩さんは本も沢山出しておられます。そのすべてが名著です。
若い頃に読んだ、《ドイツ語コーヒーブレイク》、この本などドイツ的精神とは何か、ドイツ語圏の人々の日常的な暮らしや文化などが流れる詩のような美しい文章で書かれていて何度も読み返した記憶があります。
その小塩さんの《ブレンナー峠を越えて》という著書のなかに第九について書かれた章があります。小塩さんは音楽にも造詣が深いのです。
その本で氏は、普通日本で知られている第九の日本語訳には明らかに誤訳があると指摘しています。例えば、Seid umschulungen,Milionen,を「抱きあ合え 百万の人々よ、」と大抵訳されますが明らかな誤訳で、本当は
「(私の)抱擁を受けよ、百万の人々よ、」なのです。《私》から世界に向けた挨拶なのだと。
この部分で小塩さんは“抱き合え”の誤訳のほうが日本人的心情には受け入れやすいと言っておられます。和を貴ぶ日本人には皆で仲良くやっていこう、というほうが素直に心に届くというわけです。手を取り合えと訳されたこともあるとか。氏はNHKにも第九コンサートの字幕には正しい訳を、と申し入れたそうですが、わずか二年で誤訳の方に戻ってしまったそうです。そのほかどうしても日本語には訳せない部分もあったりして、本当に理解するにはドイツ語を勉強する以外ないでしょう。
先に述べた Seid umschulungen、~が正しい訳だと、次にくるDiesen Kuss der Ganzenwelt!「(私の)キスを全世界に!」 にすんなりと進むことができるのです。ここでの“私”とはもちろん常にシラーでありベートーベンなのです。
小塩さんは第九は、この曲を支える思想的背景は深いところで私達のものとは実に異質なのである。孤独な魂の思想が純粋感覚となって結晶した壮大な世界がここにある。ベートーベンを自分勝手な感性で理解することは良くないのでは、とも言っておられます。
第九という曲に対して深く思索をめぐらせておられますので是非一度お読みください。

“星空の彼方には神様が必ずおられます”
“苦悩を貫き通して歓喜を!”
第九を創造した時、ベートーベンは完全な無音の世界にいました。
ベートーベンの孤独な魂が直接私達の心に伝わってきます。
たとえ今は苦しくてもベートーベンのメッセージに共感すれば、今日一日だけはなんとか頑張ってみようという気持ちにさせられます。

Frohe Weihnachten und ich wuensche Ihnen ein gluekliches Neuesjahr !
クリスマスおめでとう、そして良いお年を!
第九のお話 完