◎其ノ三
楽譜及びピアノのレッスンのこと

私が真面目に音楽に取り組むようになったのは、ピアノを習うようになってからのことです。
小学5年の頃でした。その頃私はおぼろげにも将来音楽を生業にすることをすでに考えていまして、親にもそのことを話していたものですから、ピアノは意外と簡単に買ってくれました。
最初の楽譜との出会いはやはりバイエルピアノ教則本です。それもピアノを買った時に楽器店がおまけとして付けてくれた“子供のバイエル”の赤本と下巻の黄色本。
その時、すでに5年になっていたので、子供っぽく幼稚な挿絵だらけの真っ赤な楽譜を持つのが恥ずかしくてしかたがありませんでした。早くその幼稚な楽譜から逃れたくて必死で練習しました。

当時習いに行っていた近所にあるピアノ教室には、私の他にも沢山の生徒が通っていてとても賑わっておりました。先生も何人かおられたように思います。当時ピアノは習い事の王様だったのです。

音楽を勉強する子供にとって、周りや通う教室に自分と比較する対象となる生徒が沢山いるということはとても大切なことです。競争心も生まれますし、レッスンの時、人に聞かれるという緊張感も経験できます。いやがうえにも練習する気力を掻き立てられますからね。
私が通った教室も、前の生徒のレッスンが終わる少し前から次の生徒が来るように時間が設定されていて、レッスンに途切れがなく、常にだれかに自分の演奏を聞かれているような状態でした。先に終わった生徒も次の生徒のレッスンをしばらく聞いてから帰るということも習慣化されていました。これは人の演奏を聞かせるという先生の配慮ということも勿論ありますが、先生の忙しいスケジュールをこなすための苦肉の策で自然とそうなったのか、今ではわかりません。とにかく良いシステムだと思います。子供には刺激が絶対に必要です。
それでないと特別の才能があったり、または音楽が大好きでない限り、普通の場合子供が自ら進んで練習することなどありません。
とにかくその教室ではスケジュールがビッシリと組み込まれていたのは確かです。当時ピアノを習う子供など大抵は女の子、その教室では自分より年下の子も多かったです。それも皆一人で習いに来ていました。
私といえば、もう小学5年。同じ位の学年の子はソナチネアルバムなどやってたりするのです。それも私は赤い子供のバイエル。焦りました。人前でその本を開くのも恥ずかしかった。
その頃から、自意識過剰で人には良く見られたいという性格(演奏家にはある程度必要な性格)が非常に強かった私は早くその赤い本から逃れるために必死で練習しました。幸いバイエルはすぐに終り6年生になった頃にはソナチネアルバム、中学1年のころにはハイドンやモーツァルトのソナタ、中学2年にはショパンのワルツなど弾いたりしていました。
今から思うと、もっと生徒の少ない教室で優雅にレッスンを受けていたら、そこまで練習しなかったかも知れません。
その時の記念碑的な全音版“子供のバイエル”上下巻は今でも大切に保管しております。