◎其ノ四
レコードとCD

私が初めてクラシック音楽に目覚めたのは小学一年生の年でした。それは以前にもお話しした、魔のような給食時間のことです。
給食の時を少しでも快適に過ごしてほしいという担任の先生の配慮からでしょうか、毎日その時間になると、わかりやすいクラシックの曲をその当時主流だった小さなレコードプレイヤーでかけてくださるのです。その頃、ポータブルレコードプレイヤーはまだ電気蓄音機いわゆる“電蓄”と呼ばれていて、今でも覚えていますが、それは酷い音でした。
学校の備品ですから、状態も悪く、レコードそのものも傷だらけです。聴いていると傷のあるレコード特有の砂嵐のような音(若い方はご存知ないかも知れません)が目立ちます。更に深い傷があればその部分で針が飛び、同じ所を永遠に繰り返すという惨事に。そうなればレコードコンサートどころではありません。コンサートは即中止。子供心に聞けなくなったそのショックは突き刺さります。
それでも昼になると酷い音の電蓄で聞くクラシック音楽に魅せられ、やがて給食の時間が楽しみになりました。
音楽に興味がない人なら、そんな酷い音を毎日聞かされたらなら益々音楽が嫌いになるでしょう。

元々音楽が好きだったこともあるのでしょうが、酷い音ではあっても、当時の私にとってそれはどんな高級なオーディオ機器にもまさる素晴らしい音だったのです。

やがてクラシック音楽に“はまった”私は自然の如く親にレコードプレイヤーを買ってくれとせがむようになりました。家でも音楽が聞きたくなったのです。
しかし、なかなか買ってはもらえず、最初は近所の祖父母の家にある古い蓄音機で浪曲や訳のわからない童謡のSPレコードを聞いて我慢していました。それを見かねたのか母はやっと三洋電機製のレコードプレイヤーを買ってくれたのです。
それは嬉しかった。
そして最初に買ってもらったレコードばハンスリ・リヒターハーザーが弾くピアノ小曲集。“乙女の祈り”とかシューベルトの“軍隊行進曲”が入った小さなLP盤でした。
とてもロマンチックな演奏です。それをボロボロになるまで聞き続けました。

その後ピアニストのリヒターハーザー氏との再会は意外なきっかけで実現されました。
それから十数年後、九州交響楽団にチェリストとして入団した私にその時は訪れたのです。
オーケストラでは毎月、来月分の月間予定表が配られるのですが。ある日、配られた予定表を見て我が目を疑いました。なんと、あのリヒターハーザーの名があるではありませんか!
彼の弟子であるフォルカー・レニッケ氏が当時九州交響楽団の常任指揮者をされていたので、彼の演奏会にソリストとして登場することになったのです。

続く…