◎ 続き

よく、見えるものしか信じないという人がいますが、彼らは嘘を言っているか、よほどの間抜けでしょう!
固定観念に縛られ、想像することすら放棄しているように見えます。
人は各個人の独断的な価値観のみで生きていることが良くわかります。現代人は見えないからといって見えない物に対する感覚があまりにも鈍感になり麻痺し過ぎているように思うのです。

また普通、物質として見える物にしたって、すべの人が同じように見えているとは全く限らないのです。
猫や犬、さらには昆虫が見る世界はもっと違うといわれます。
感情によっても大きく左右されるし、体調によっても異なります。触覚や臭覚にしてもそうです。固さ柔らかさ、臭いの観念など人それぞれです。
もちろん聴覚もそうです。感じ方は人それぞれ。

 そう考えると何が正しいか間違っているか、など全く分からなくなってしまいます。

私達はいつも夢を見ているようなものなのです。
そこで大切になってくるのは形のない各自の“思い”。それしかありません。

肉体を維持するためにスケスケだらけの物質の助けは必要ですが、人生を豊かにするために本当に大切なものは見えないものの中にあるのではないでしょうか?
いかに思うかが大切なのです。

正に、それこそが、頼るべき本当の実体だと思います。
思い(想い)の世界に生きる私達、本当は霊界に生きているのかも知れません。霊界は思いの世界だからです。地獄も極楽も本来見えない心の中に存在すると言えるのではないでしょうか?
行動は思った事の結果として現れるのです。
そこで、いかに生きれば良いのか?人はその問題に気がつき、心のよりどころを得るため宗教を考えだし発展させたのでしょう。
その原理は音楽にもあてはまります。
音楽も実際鳴っている部分よりも思いの占める部分の方が大きいのです。実際鳴っている音は、自分が思ったことや感じたことの結果であり、抜け殻であるのです。その意味において、音楽という宗教の力は人を導く上で強力な力となりうるのです。またその反面、人を堕落もさせる力を持っているのです。一部の宗教のように。
目に見えない思いの力の大切さをを痛感する日々です。
色々申し上げましたが、この世(霊界を含む大宇宙)は原因の世界(見えない世界)と結果の世界(目に見える現実の世界)によって成り立つ。現実に見える世界は思ったことに対する結果でしかないと理解するべきでしょう!
いかに良い結果を得ようとするなら、いかに見えない世界を大切にするか。
これは大自然の摂理、宇宙の原理でもあるのです。

私自身、数年前に目の病気を患い、それ以来、昔の見え方とは異なってしまった現実に対してそんなことを良く考えるようになったのです。 人は何かを失えば何かを得、何かを得れば何かを失うのですね。全ての事柄には意味がある。
まさに因果応報、原因と結果。
結局、頼れるものは“見えない心”でしかないのです。

この世は実にうまく出来ているものですね!
終わり