◎ 世界は光に溢れています。季節は千変万化の移ろいを見せます。
私達は忙しく追い立てられるように日々を過ごしていますが、ふと、次のようなことを思う瞬間はありませんか?

私達は物事を何気なく眺めていますが、
この世の中は見える物の意味などほんの僅かで、大事なもののほとんどは見えない方にあるのではないのか。
この世とは無限に広がる霊界に浮かぶ小さな孤島(宇宙も含む)であり、“霊界”が染み出したのがこの世、つまり現世ではないのか?

まず、見えている物と見えないものがもたらす役割の差とを考えてみるとどうでしょうか?
普段何気なく生活している中にも、実は見えない物が世界を動かせているという事実。気がつきにくいことではありますが、これが全てだと言っても過言ではありません。

例えば、一番身近かな例でいえばお金。お金そのものは見ることができるし触ることもできます。だって物質だからです。お金そのものは紙切れに過ぎません。
しかしお金として意味があるのはその価値であり、その紙切れがもたらす影響力なのです。それをお金と呼ぶのです。

物の価値は目に見えません。銀行などの金融機関で見てもわかるように、見えないお金は世界を飛び回っています。つまり見えないお金の価値が世界を動かし価値が飛び回わり人を一喜一憂させているといえるのです。

電気だってそうです。全く見えませんが電気がなければ現代人など一瞬たりとも生きてはいけません。

同じように“愛”は見えますか? 見えるとすれば愛が原因とする、又は愛がもたらす行動や現象を見ているだけなのです。
愛など見えない物の代表格です。
友情もそうですね。
見えないからと言って、愛や友情などこの世に存在しないのだと言う人などいません。
喜怒哀楽など、人の持つ感情すべてにいえることです。

ちょっと変わった例では就寝時に見る夢(白昼夢といわれる夢もありますが)。これは目には見えませんが確実に見えます…?
肉眼は使わないが脳は確実に物事を見ている。しかし、実体はない。
夢は特異な存在です。
しかし目には見えないからといって夢など存在しないという人などいないでしょう?

音楽はどうでしょうか?
演奏する姿は見えますが、音そのものは見ることができません。
空気は見えるでしょうか?
見えないと思います。稲穂が風で揺れたりするのを見て初めて空気の存在を知るのです。空気は音楽を生み生命を育む。
見えないからと言って空気などないという人などいません。
 
絵画など物質ではありますが、我々が見て感動するのは、絵画が発する波長が異なる光です。実体がある訳ではありません。物体すべてそうです。
その物体自体、ミクロ(電子、原子などのトップクォーク)の世界から見ると実はスケスケで、実体そのものの存在感そのものが危うくなります。
つまり、私達は幻想世界の中で生きていると言えるのです。
そんなことを考えると物の存在感すら危うくなってきますね!

続く