◎ 私達現代人がバロックから古典派にかけての音楽を演奏しようとする時、どうしてもぶちあたる問題が発生します。
まずはスラーはどのようにかけるか、音の強弱はどのようにするか、テンポはどう設定するか、ピッチの設定など、どれも重要な問題を含んでいます。

まず言えることは、この時代は音楽が現代のクラシック音楽のように衿を正して聴く高尚な趣味であったり、特別な芸術ということはなく、もっと日々の生活に密着したものであったということです。庶民の生活は生の音楽であふれていたのです。
音楽は日々大量に消費されていきました。消耗品とも考えられます。
ですから、言わなくても分かるような程度の演奏の取り決めごとはいちいち楽譜には書かれず、ある程度は演奏者に任されていたのです。

現代人にとってこれら多くのことが書かれていない古い時代の音楽を理解し演奏することを困難にしているのは、ロマン派以降のなんでも楽譜に書かれた通りにしか演奏出来ず、またそれが良しとされ、音を常にベターッと塗り潰して演奏するという演奏法、また何でも楽譜に書いてしまうという習慣がもたらした結果としての演奏の不自由さから来ることが原因とも考えられ、さらにそれが演奏者を不自由さ故に縛り付けているのです。
根本的にロマン派以前の音楽は音の層がはっきりしているのですが(つまり合奏作品や鍵盤楽器の作品において、高音部から低音部までそれぞれの声部の個性が活かされ層となって見渡せるのです。)ロマン派以降の音楽は音が塊となっているため、音楽を断層として認識するのは非常に困難なのです。これはその当時の演奏法によって生み出されたとも考えられます。簡単に言えばロマン派以前の作品は水面から川底の石がはっきり見えるのです。すっきりしているわけですから、演奏も自由となり奏者のファンタジーを自由に盛り込むことも容易です。作曲者も奏者を束縛してはいないのです。ですから言わないでも良いことは極力言わないようにと努めたわけです。この時代、音楽はもっと自由でした。
反面、ロマン派以降の音楽は細かい指示を克明に書き込むことにより奏者をがんじがらめにしたのです。
この伝統は現代にも続いています。

バロックから古典派においては宮廷においても音楽作品は消耗品のように日々新しい作品が生み出されました。それが日常でした。そんな中、オーケストラや室内楽では手間のかかる練習をしている暇はありません。場合によればぶっつけ本番ということもあったでしょう。
さっと合わせてパッと本番に間に合わすことができる、そんな作品が求められたのです。そんな限られた条件のなかで作曲家は演奏家の技術を高める曲を書き、自分の精神を作品に盛り込み、作曲技術を磨いていったのです。

続く