◎第四話 
地球音楽から宇宙音楽へ

さて私達が演奏する音楽をもっと巨視的、全宇宙的な目で見てみるとどうでしょうか
例えばアンドロメダ星人(もしもいるとすれば)が地球人を見た時どう思うでしょうか。ドイツと日本の違いどころか、地球人そのものが僅かの地面にウジャウジャとはびこり、下等で害毒を撒き散らす毒虫程度にしか感じないかも知れません。その生物が奏でる音楽など雑音程度にしか感じないのではないでしょうか。少なくともドイツ音楽と日本音楽の差など無いに等しいでしょう。もちろん人種の違いなんか無いものとして見るでしょう。
その地球人が国ごとにいがみ合い害毒を垂れ流しているのですから多分理解できないでしょうね。地球人など宇宙規模で見ると多分最も下等な生き物に属するのではないかと思います。

ですから私達“悲しみの惑星”の住人である地球人は少なくともせめて音楽だけはもっと大きな目で捉え、ドイツ音楽や日本音楽としてではなく地球音楽として感じるべきだと思います。

たまたま西洋音楽が世界の中心的な地位を占めるようになったのは、西洋音楽が持つその普遍性に起因するものだと思います。それは西洋音楽が楽譜中心の音楽であり、演奏の再現システムが完全に確立され統一化されており、楽譜を見れば完全に再現可能だというその便利さ、記録性の良さ、その結果全世界に広がった。ただそれだけです。
それ以外の音楽、例えば日本音楽は演奏中心の音楽なのです。楽譜はメモ程度であり、作品の継承はほとんどが口伝によります。記録に残り難い。ですから高い芸術性を備えているにもかかわらず世界中に拡散するのには限界があるのです。
ですから私達はその便利でわかりやすい西洋音楽を地球代表の音楽、つまり地球音楽として捉えれば良いのです。
過去の先人達が残してくれた偉大な芸術作品はドイツ人や日本人の差を遥かに超えてその包容力で包み込んでくれます。国の差など関係ありません。ひょっとして宇宙全体をも包み込んでくれているのかも知れませんね

大きな視点で音楽を捕らえると民族の違いや言語の違いなどにこだわるのは馬鹿げている、弾く音楽が大阪弁でもべつにいいではないかと自分に言い聞かせ毎日音楽に邁進しています。

終わり