23年前 続き

それから8年間がむしゃらにレッスンを続けました。
チェロの生徒もわずかではあるものの増えましたが、音楽教室というもの、何よりも宣伝が大切。しかしその教室では宣伝を殆どやっていない状態でした。一人辞め、二人辞め、やがて辞める生徒が入会する生徒を上回り、ついには生徒がバイオリンとフルートの生徒が二人だけになってしまいました。当然、教室を借りる家賃も払えなくなり、ついには教室を閉鎖することになってしまったのです。

そこで困った私は、残された生徒をなんとかレッスンを続けさせるために、当時親しくさせていただいていたある一人の音楽愛好家の方に相談したところ、それでは自宅を音楽教室に解放しましょう、と協力していただけることになり、なんとか安住の地を得たのです。まさに救いの女神とはこのこと。場所は閑静な西宮の住宅街でした。

三宮に比べて静かな環境。レッスンも楽しく充実してさせていただきました。

しかし、楽しいこともつかの間。教室のオーナーであるその知り合いの音楽愛好家の方が、ある日突然、急死されてしまったのです。この時、人の命の儚さをつくづく思い知らされました。

生徒達は再び路頭に迷うことになりました。

しかし、再び救いの女神が現れたのです。

それは、三宮でレッスンをしていた頃、私の生徒となり、最後の西宮の教室までレッスンを続けられたあるバイオリンの生徒さんです。

その生徒さんのご好意によりご自宅で再びレッスンを続けられることになったのです。

場所は神戸市垂水区。

これが未曾有の大震災とともに苦し紛れに始まった三宮のチェリストによるバイオリン教室から続く、現在の川内昌典チェロ教室安住の地となったのです。

殆どの生徒は二度目の教室閉鎖とともにに辞めてしまいましたが、そのバイオリンの生徒とフルートの生徒だけは残りました。そして二人だけでレッスンを再開したのです。

なかなか生徒は増えません。音楽教室とは程遠いもの。それでも再び安住の地を得た私は、喜びに満ちてレッスンを続けました。

やがて、ホームページを立ち上げ、チェロに限定して生徒を募集し始めたのはこの三年程の出来事です。その間、私の自宅でもチェロのレッスンを始め、最近やっと音楽教室の形態をとりはじめたところなのです。

今までいろんな苦労はありましたが、その都度いろいろな方に助けて頂きました。
人は真面目に生きなければならない、真面目に生きさえすれば、たとえ人生を変えるような出来事があろうと必ず運が開ける、と痛感する毎日です。
そして、明日のことは誰にもわからない、日々を大切に生きなければならないということも。

1月になると苦しかった頃の教室のことをいつも思い出すのです。

以上