古い楽譜を見て思うこと

そのコテルの初版の楽譜を見て面白いのは表題が無伴奏チェロのための“ソナタ又は練習曲”となっていることです。実際にフィンガリングも至る所に書かれています。スラーも他の写本に比べると単純というか、ロマン派風とでもいうか、とにかくバロック風ではありません。
この曲がその当時の人からは練習曲としてしか認識されていなかった、ということがわかりとても興味深いです。少なくとも20世紀に入りカザルスが公の場で演奏するまでは、この曲はやはり練習用としてしか捉えられていなかったようです。

もうひとつ面白いことはスラーの書き方が皆異なっているということ。コテル版は一拍目と三拍目全部にスラーがかかっています。一番細かいのがアンナマクダレーナの写本。

どうしてここまで違うのでしょうか。

やはり写譜する人が自分の使う目的に合わせて、または自分の解釈や趣味に合わせて写していったのでしょうか。少なくともアンナマクダレーナはバッハのよき理解者であったので、彼の意図を正確に汲み取ろうと努力したはずです。それでこの版は最高の資料となるのです。この写本には独特の迫力というかスピード感があります。一気呵成に書き上げたという感じ。何か書道の文字を見ているようでさえあります。自分は亭主の考えていることなど何でもわかっているのだ、と言っているかのようです。この写本は何か覚書のようなものではなかったのか、とも考えられます。しかしこの写本の書き方は一気に書いたせいもありかなり曖昧ではあるので、後の人達を大いに悩ませることになりました。学者達は他に残っているバッハの自筆を参考に研究したりしますが、我々普通の演奏家はほとんどの自筆譜を見るチャンスなどありません。歯痒いことです。
写本は四つ残されてはいますが、現代よく弾かれるような一小節を二つの大きなスラーで分ける、というものは少なくともひとつもありません。