◎6 第三楽章
アダージョモルト エ カンタービレ、アンダンテ モデラート

この楽章から気分は一転、静寂と優しさの世界へと変化します。
ベートーベンはアダージョの表情を指示していますが、ベートーベンのアダージョはそんなに遅くはなく、豊かに歌える速さを設定するべきです。バロックの時代アダージョは、もちろん速くではないのですが、むしろ“気楽に”という表情的な意味合いの方が大きかったのです。遅すぎた場合、気楽にとはなり得ませんよね?“遅く”を意味するのはレントだけです。
ベートーベンの時代に入っても伝統はそうは簡単に覆るものではないので、音楽における革命家であった彼も伝統に従っていることは多いのです。
そのような意味から、ベートーベンの交響曲で完全に“遅い”楽章は一曲もありません。
私達演奏者もアダージョやアレグロの表示を見て条件反射的にテンポを決めるという行動は慎まないとだめだと思います。
ではなぜ第三楽章がこんなにも遅く演奏されるようになったのでしょうか。それは後期ロマン派に主流であった自己中心的で表現過多、表現過剰な演奏の影響が大きいからだと思います。
フルトヴェングラーの時代になってもかなり遅いです。彼の残されたレコードを聞くともう音楽が止まってしまうくらい遅い。昔九響でフルトヴェングラーの弟子といわれる指揮者と第九を演奏したことがありますが、ヴァーグナーを思わせるロマンティックな演奏で感動的でしたが。普通の倍くらい遅いテンポでした。
曲はアンダンテ モデラートに流れだします。
このアンダンテもよく誤解される言葉です。アンダーレ、元々イタリア語で歩み続けるという意味で遅いというニュアンスはまったくありません。むしろ推進性がある分、速めに感じたほうが演奏は成功するかも知れません。このアンダンテからベートーベンが最も得意とするバリエーションの世界が始まります。

一般的にこの楽章が終わると同時に合唱団やソロ歌手が舞台に入場しますが、私としてはこの方法は避けるべきだと思います。入場によって音楽の流れが完全に止まってしまい、一つの音楽が前半と後半に分断されてしまい、とても違和感を感じるのです。腰掛けて待っていれば済む話です。昔、あるオーケストラでの話、多分その指揮者も私と同じような事を考えたのでしょう。合唱団を第一楽章から舞台に上げていました。ただ間違いは合唱団を座らせずに立ちっぱなしにさせておいたことです。その結果、貧血を起こしたり気分が悪くなって倒れる合唱団員が続出。ある種異様な雰囲気のコンサートになりました。
まったくの拷問です。それまで一年間必死で練習してきた団員のことを思うと気の毒で仕方がありません。