当教室に体験レッスンを受けに来られる方のなかには、他の先生に何年もレッスンを受けた経験があるという方も時々来られます。
そのような方には体験レッスンでは当然、今現在弾いている曲あるいは過去にやった曲を弾いていただいたり、過去に受けてきたレッスンの内容をお聞きするわけです。
そんななかで驚くのは、音階、いわゆるスケールを練習したことがない、または教わったことがないという方が結構おられるということです。
音楽をやっているのに音楽の素材である音階を練習しないなど全く理解に苦しむのですが、多分どうせアマチュアで楽しむだけなのだから、音階練習などしち面倒くさいことなどやめにしてして、早くオーケストラで弾いたり好きな曲を弾こうではないか、ということなんでしょうかね。
私に言わせると、それは、ご飯を炊こうとしているのに米のとぎかた、釜の使い方、はたまたご飯とは米を使うのか麦を使うのかが分かっていないような状態なのです!
ですから音楽が音階により成り立ち、音楽の素材である以上、その練習をしないわけには参りません。これが楽器演奏の基本中の基本でもあるのです。
その原因は、教える方も習う方も、音階練習を軽んじ過ぎていることもありますが、まず音楽と音階を分けて考えすぎていているためだと思われます。
私の恩師である林峰男先生も、あれだけの巨匠的存在でもあるにもかかわらず、毎日音階練習は欠かさず、音階から日課を始められるお姿は印象的でもありました。
ここで問題なのは、
林先生もおっしゃってますが、何事もやり方が問題なのだと。
いくら音階練習が大切だと言っても、そのやりかたが間違えていれば何の意味もないのです。
まず大切なのは音階とはなにか、その意味を理解することだと思います。
それは音階がすでに音楽になっている、あるいは歌になっていなければならない、おおざっぱではありますが、これに尽きます。なぜなら音楽の素材であるのだから。
例えば、饂飩(うどん)の素材は小麦粉、まず食べられなければならない。蝋では食品サンプルにはなりますが食べられません。
その素材である小麦粉も上質なものを使い、丁寧に打てば、美味しい饂飩になりますよね?パンも一緒。悪い粉でできたパンなど食べられたものではありません。
音楽も同じです。音階という素材を吟味し鍛練せずに立派な演奏など成り立つでしょうか?食べられない食品サンプルの饂飩のような演奏にはなりたくないものですね。
ですから、ドレミファの弾きかたひとつで、その人の音楽性や音楽にかける愛情、心構え、すべてが分かってしまう、といっても過言ではないのです。怖いものです。
下手に舞台裏で音階練習など、するべきではありませね!(笑)
続く
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