理想のヴィブラートとは

モイーズの音の特徴は何と言っても、そのヴィブラートの美しさにあると思います。一見、ノンヴィブラートにしか聞こえないのですが、よく聴くとその音の裏側には芸術的に必要なヴィブラートが必ずかかっている。ヴィブラートの存在を全く気づかせないのです。
彼も本で言っていますが、ヴィブラートが常にかかりっぱなしでは心臓病と同じだと。心臓の鼓動ばかりが目立っては病気だというのです。ヴィブラートは心臓の動きとおなじで、興奮すれば激しく鼓動するし落ち着けば静かになるものです。いつもドキドキしていればそれは心臓病という外ありません。
ヴィブラートが音楽の流れに沿っていない場合もヴィブラートばかりが目立ってしまい趣味の悪さだけが際立ってしまいます。
これは弦楽器や声楽でも共通することですが、まずヴィブラートが無い時の音が美しくなければいけません。
ヴィブラートは下手をすれば汚い音や声を誤魔化す悪い習慣にもなりかねませんので注意してかける必要があります。
ピアノでもペダルを踏むことによって下手なテクニックを誤魔化す習慣に陥りやすいので、ヴィブラートと同様、注意して踏む必要があります。ピアノも常にノンペダルで指をしっかりコントロールできなければなりません。何も考えずに気分でペダルを踏んでしまうピアニストが目立つ現状はとても嘆かわしいことです。
そもそも20世紀初頭まで、フルートなどの管楽器や弦楽器にはあまりヴィブラートをかける習慣はなかったようです。クラリネットやホルンは現代でもヴィブラートはあまりかけません。しかしその方が遥かに美しいのです。なぜならそれらの楽器の持つ本質的な音はとても充実しているからです。
チェロのカザルスやフォイアーマンの音は今流行りの贅肉たっぶり、ヴィブラート過多の音ではありません。
余分なものを削ぎ落とした音色そのものの美しさからくる力強い音楽がそこには存在します。
私自身いつも理想としている音はモイーズやカザルスやフォイアーマンのような本質的に音が美しく、ヴィブラートの力を借りずとも素の音色で訴えることが出来る音を持ち続けたいということ。ヴィブラートはあくまで目立たず、よく聞けばかかっていた、という質のヴィブラート。これに尽きます。ヴィブラートは常に慎重にかけるべきです。

ヴィブラートと同じように重要なのは発音の多様さです。
発音はそのフレーズに合ったブレス(息継ぎ)が必要です。
モイーズは薔薇の花の匂いを嗅ぐように、という表現を使ってました。素晴らしい表現ですね。

発音の問題は次の其ノ八の章で詳しく説明します。