かくして私はスイスの大地を踏むことになりました。
ヨーロッパの場合、日本からみると不思議なことですが、技術を中心に教える先生と音楽全体を教える先生の両方に習うという習慣があります。教授とアシスタントの役割がはっきり分かれています。まず私はツューリヒのルツィウス・ガルトマン先生(先生はアンドレ・ナヴァラの門下で完全にフレンチスクールです)の元で、基本的なテクニックを叩き込まれました。それこそ、弓の持ち方からです。教材はフィヤールのメソード、シュタルクのメソード、デュポールのエチュードなどです。日本ではヴェルナーや鈴木メソードがいまだに主流ですね。スイスではこれらの本は売られていません。
それと並行して、私はローザンヌの林峰男先生のところにも伺いました。
林先生はその頃、ローザンヌやモントルーの音楽院教授の職を辞し、演奏することに専念されていた時期でした。演奏活動で 忙しいなか、幸運にも数少ない生徒の一人として教えていただくことができました。
林先生のレッスンに対する持論は、人を教える事は、決して片手間にやってはいけない。(日本では、片手間でいい加減なレッスンをしている演奏家が何と多い事でしょうか!)人を教えるということはとても大切なこと、なぜなら音楽文化そのものを育てるということに他ならないからだ。特に子供を教える時は細心の注意が必要。その子の才能を活かすも殺すも教師次第だ。世の演奏家は人を教え導くことを軽く考え過ぎだ。(才能がないから演奏することを諦めて、生徒でも教えようか、という先生は多いです!残念ながら。)弾くなら弾く、教えるなら演奏活動を制限してでも教える事にもっと専念すべきだ!
また間違った事を教えるのなら、何も教えない方がまだましだ。(教えることには演奏とはまた違った才能が必要です。)それぐらい教えるということには責任があるという事を世の教師は肝に命ずるべき!といつも言っておられます。 御意、全くの同感!
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