◎其ノ五
“ボウイングを考える”
最後にチェロのボウイングつまり弓使いのことについて考えてみたいと思います。
ボウイングという複雑な身体の動きを文章で説明し理解していただくことは至難の技で大変困難なことです。実際のレッスンで弾きながら説明すれば何でもない単純なことでも文章では理解していただくことが酷く難しくなってしまいます。しかし私の考えを知っていただくために、それは是非必要なことですので頑張って拙い文章で書いてみたいと思います。
レッスン 1
よく弦楽器奏者にとってはボウイングの方が左手よりも重要だ、という人もいますが、左右の手のタイミングやバランスがしっかりとれてはじめて良い演奏になるので、ボウイングだけが重要だという考え方は少々乱暴だと私は思います。したがってボウイングだけ独立した説明は本来不自然で意味がないことなのですが、文章にするためには左手と右手に分けて説明したほうが理解がしやすいかも知れないので、今回はあえてボウイングだけに限定して私の考えを述べてみます。
まずチェロ弾きにとって弓とは何か。単純にいえば手であり足です。しかし、それ以前に生命活動そのものである呼吸を司る大切な器官、肺や心臓でもあるのです。弓が無ければ演奏は不可能です。
フルートなどの管楽器は鼓動や息は見えません。すなわち管楽器は楽器自体が身体の一部分になっているのです。声帯の延長ともいえますね。したがって管楽器の場合、楽器との一体感は弦楽器に比べると遥かに得られやすくなります。特にアコーディオン(管楽器ではありませんが)やハーモニカは吐くだけでなく息を吸っても音になるためより一層楽器との一体感は得られやすいでしょう。呼吸そのものです。
しかし弦楽器の場合、楽器そのものには息を吹き掛けるわけではないので管楽器に比べてどうしても楽器との一体感は得にくくなります。どちらかと言えば器具や道具を扱うという感覚(器具や道具であることには変わりがないのですが)、または異物としての感覚を持ちやすいものです。またそういった感覚しか得られていない人も多々見受けられます。そういう人は楽器に弾かれてる、または振り回されているようにみえるものです。
しかし音楽は生命体そのものであり、生きていますから、楽器との一体感がないかぎり弦楽器で音楽を表現することなど到底無理なことでしょう。
楽器が声帯であり、楽器を弾くことが演奏する人の意識、アイデンティティの現れであるべきです。
弓の動き=息そのもの、つまり息が目に見えた形になったもの。あるいは意識が形になったものと捉えるべきです。
つづく
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