◎其ノ三
音楽と飢餓 続き

このようにゴミみたいな音楽を強引に聞かされるばかりで、妙なる音色に耳を傾ける習慣など退化させられてしまった可能性は大きいのでは、とすら思うことがあります。

また実際にクラシックのコンサートを見ても、プログラムの内容は面白ければ何でも良い、曲芸的な演奏ばかり持て囃されるのを見ても、この世の中まずは金であり集客の意図はまる見えですね。
実際、ポピュラーな曲をやらないとチケットは売れない時代です。知らない曲をじっくり楽しむ習慣は受け入れられないのでは、とさえ思わされます。

実際の演奏でも求められるのは大音量とチャラチャラした安っぽい格好良さばかり。聴く態度も受け身。こちらから身を乗り出し耳を澄ませて聴くという能動的な態度はほとんど見られません。これも無用な音楽が溢れ過ぎ耳が退化してしまった結果だと思います。

腰を抜かすような大音量の物には基本的に美はありません。
これみよがしな大きな物と美は水と油。同居は無理なのです。

これら昨今の音楽事情を見ていると、今流行りの大食いバトルを見ているような気分になるのです。公衆の面前で恥じらいもなく大食いするフードファイターは、多分食べ物の味など味わってなど食べていないのでしょう。考えているのは、いかに効率よく胃まで流し込むかそればかり。賞金稼ぎかギャラのために食べているのだと思います。
音楽においても演奏家はギャラのためにはどんなことでもするでしょう。それが普通です。世間の雑音増加にも加担します。必要とされない無用の演奏もするでしょう。 

しかし私達はこの辺で普通の感覚を取り戻すべきではないでしょうか?
無用な雑音的な音楽を排除し腹は八分目に!
もっと冷静に今自分が置かれている現状を把握し、聞こえてくる音が不要な音楽か精神を潤す音楽かを見極める耳をを持つこと。(そのためには指導者的な影響を与える存在は必要です。)または能動的に聞こうとする習慣を持つこと。
その感覚に目覚めることができれば音楽的飽食や音楽的飢餓から脱却できるのではないでしょうか。
それを手助けするのが私の使命だと思って日々がんばっております。

終わり