では、次に音階練習のしかた、そして音階を歌うということはどういうことか、ということの意味を極簡単にお話しします。

皆さん、音階つまりドレミファソラシドをまず歌ってみてください。ミとファ、シとドの間が狭くなっている、つまり半音だということがわかります。それ以外は広い。すなわち全音ですね。

広い音、狭い音、この絶妙な配分が人の心を動かし、想像力を掻き立てるのです。西洋音楽が発展する原動力ともなりました。
ドレミと順調に進む。次にファに入れば急に音が狭くなり景色が変わる。池の飛び石でも急に石と石との間隔が短くなればびっくりするでしょう。この規則の破壊こそが変化を生む。それが音楽の素材になり得たのです。庭園の飛び石でも微妙に間隔をずらすことで美が生まれるのです。

次に例えば、ドレミと進み、次にファ#に進んでみましょう。どうですか?何となく、落ち着かない、または空虚な感じを抱くでしょう?音楽として成り立たない、というか気持ちが先に進まない、というか止まってしまいますよね?感情がこめにくい。しかしフォーレやドビュッシーなどは意識的に全音や半音ばかりの音階を使い、新しい世界を開拓しましたが、これは特殊な例です。
全全半全全全半(ドレミファソラシド)、という配列は絶対的王者であり不滅なのです。
しかしこの進行をただ漠然と棒読みのように進めば意味がありません。(残念ながら、そんな風に弾きながら練習している人をよく目にします。これではいくら練習しても無意味なのです!)
必ず半音のところで驚きがなければいけません。半音とは緊張を伴うものです。驚き、つまり感情が伴わなければならないのです。
何を訳の分からないことを、とおっしゃるかもしれません。
しかし、それを簡単に実感する方法があります。
それは、スラーを用いるのです。音階の半音にスラーをかけて弾いてみてください。
そしてスラーの部分で思い切り感情をこめて弾いてみてください。スラーの初めの音に感情をこめ(結構、重心がかかります)、スラーの終わりを余韻にしていけば尚更良いでしょう。しっかり音楽らしくなったら、次にスラー無しで弾いてみましょう。この時、スラーがあるように心がこもった音になれば最高です。

どうですか?
音階が音楽らしくなったと思いませんか?

この弾きかたを実際の音楽作品に用いていけば、どこでどう歌えば良いのか、基本的な線がある程度分かってくるのです。色々なことを発見することができるでしょう。

先にも申しましたが、教材は何でも良いのです。問題は方法なのです。