「 柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺 」

これは誰もが知る有名な俳句ですが、
例えば自分がこの俳句が気に入らない、といっても、まさか「飯食えば ブタが鳴くなり 天王寺」とは
誰も書き換えないでしょう?

またこんな例はどうでしょうか。
ルーブル美術館に有名なモナ.リザという絵画がありますが、
自分はモナリザには髭があった方がいいと思っても、髭を普通は書き込まないですよね。
歴史的に楽譜の場合、残念ながら“書き換え”や“改ざん”は当然のように行われてきました。音楽ではなぜそれが許されるのか、私は不思議でなりません。

よく、もっと自分を表現してとか、自分が作った曲のように弾きなさいとか、もっと自分の物にして、などとレッスンなどで言われたりしますが、あれも考えてみれば不思議な言い方ですよね!
なにしろ元々他人の書いた曲なのに、自分の書いた曲のように、とはおかしな話です。そして自分を表現したいのなら自分で作曲して自分を表現すればいいのです。これなら誰も文句はいいません。
そもそも作曲家がもうすでに楽譜の中で表現してしまっているのですから、今さら何を表現すればいいのでしょうか。最も大事なのは“作曲家との共感のうえに演奏”を作りあげる。この一言に尽きます。

フランス革命以降音楽は見世物的要素が強くなりました。音楽はビジネスの要素が強くなったのです。
つまり音楽を自分を目立たせるための小道具にしてしまった。演奏者の都合にあわせて効果があがるように、平然と大作曲家の作品の楽譜の書き換え、改ざんは行われるようになったのです。これも音楽が正しく演奏されなくなった理由の一つです。
また、第二次大戦後のアメリカによる何でもかんでも自由、なにをやっても自由、自由! つまり“自由解釈”の普及、これも音楽に対して酷い悪影響を及ぼしました
また演奏者の都合に合わせた演奏者により書き換えられた粗悪な楽譜も多数出版されました。
私達演奏者はそういった書き換えられ、改ざんされた楽譜と良心的な楽譜をきっちりと見極めなければなりません。楽譜を値段を見て安さで決めるなど、以っての外です。