ここで、演奏業界、特にプロオーケストラで普通に行われている悪しき習慣を少しご紹介しましょう。あくまでもこの習慣はやっている当事者は何の悪気も持たず当然の習慣としてやっていること。ここに最大の問題があります。
プロオーケストラでは、とにかく楽譜は書き換えて当然と思っているが如く、何の罪悪感もなく書き換えてしまいます。私もプロオーケストラに何年も在籍したこともあり、他にもいろいろなプロオーケストラで演奏した経験上いつも不思議に思っているのですが、曲の命、作曲家の息遣いともいえるアーティキュレーションはほんとに平気で変えてしまいます。長いスラーは短くブチ切れに、切れた音符はダラーットしたスラーに。さらにデュナーミクや音符まで変えてしまう始末。それはプロオーケストラ共通の習慣というか暗黙の了解ということが多いのですが、指揮者の指示という場合も若干あります。しかし誰も疑問にも思わない、というのが現実。
そこで問題となるのは、いつも彼らの発想の基本であるのは、いかに楽員達が楽に、そして簡単に弾けるか。それと弓使いが綺麗に合っているか、それしか問題にされないのは情けないの一言に尽きます。結果として、そこから出てくる音は平坦でノッペラボー、油のようにタレナガシ。当然、息遣いやブレスもへったくれもなく、もはや小綺麗な単なる安物のムードミュージックに過ぎません。
弾きやすければ何でもいいのでしょうか?
リハーサルが手際よく終るのなら何をしてもいいのでしょうか?
作曲家が書いたスラーが弾きにくければ練習すればそれで済むことでしょうに!
“ハイドンもどき”と言われても当然のことなのです。
これでは楽譜のタイムマシーンに乗ってハイドン達と会話することなど到底無理ですね。皆様、どうか目覚めてください!
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