◎ 自分の顔を自分では見られないのと同じように、自分で自分が弾くチェロが放つ本当の音を聴く事はとても難しいことです。
いつもチェロを弾く時、聴こえてくるのが自分の音じゃないか、自分の顔など鏡で見るものでしょ、今さら何言ってるの?
まあ、話を聞いてください。
私たち演奏者が普段聴いている自分の音は音の発生源に近い音なのです。楽器を演奏する時、楽器は身体に密着させて演奏する。つまりこの段階では原音しか聞こえてこない状態です。つまりこの状態は自分の話し声を自分で聴いている状態と同じです。
ある程度の空間を透過して聞こえてきたのが本来の音なのです。
バイオリンやフルートなど管楽器はチェロより一層身体に密着している分、その傾向は強いと思います。
ピアノでも音の発生源が近いことを考えると条件は同じかも知れません。
声も原音となる声帯そのものの音はビーッという単純な音です。それが口腔や鼻腔に響かせ、歯などによって言葉として聞こえるのです。その口腔などがすなわち楽器と同じだと思ってください。
サイレントチェロを弾いたことがある方は経験があると思いますが、アンプに繋がないと弦だけのか弱い音しか聴こえてきません。楽器の音も原音は惨めな音です。
それが楽器の響板や空洞によって増幅され、それぞれの楽器の音として演奏者の耳に届きます。しかし、この時点では楽器の音としては未完成です。自分の声を自分で聞いている状態。
聞き手の耳に空間という広がりを経て届き初めて音として完成するのです。
どうしても人は自分が今弾いている瞬間の音だけが自分の音だと思いがちですが実際は聴く相手の耳に空間を通して届いた音が本当の音なのです。
自分の顔など鏡で見られるし自分の音も録音すれば簡単に聴けるじゃないかとおっしゃる方もおられることでしょう。しかし、鏡に映った自分はあくまでも鏡という物質を通して見た虚像であり、実像ではありません。写真もそうです。そもそも鏡に映った自分など左右逆ですものね!
また録音された自分の声があまりにも想像したイメージとは異なることに愕然とした経験などだれにもあるはずです。
自分の姿を実際に見られるとすれば手や足、腹など身体の半分ほどの部分しか見ることができない。内蔵などまったく未知の領域です。そんな身体の全てを見られない人間が、自分が、自分がなどと自分のことを語るのは、どこか滑稽さすら感じさせます。
しかし本来の音ではないのだからと諦める訳にはまいりません。
何とか本当の音を聴く努力はしなければなりません。
では自分が聴いた音と他人が聴いた音とのギャップをどう埋めるか?
より近い自分の音を聴く耳を養う具体的な方法としては、録音機器を使って実際自分に聞こえた自分の音と録音のされた自分の音との印象の差をなくしていくという方法があります。
機械は高級な物でも人の耳に比べれば遥かに鈍感で、微妙な空間の響きや空気感までは録音できませんがこれに頼るしかありません。
後は、良く響く場所で空間に響く自分の音を聴くことぐらいでしょう。その意味でも広くて良く響く所で弾くのは大切なのです。
あとは多分こう弾けばこのように聴こえるだろと推測するしか方法はありません。
残念ながら、想像するしかない。
あるいは幽体離脱して遠くから自分の演奏を聴くか。(これは冗談)
人は知っているようで自分の顔も知らない、自分の後ろ姿も肉眼では見たこともない。本当とは異なる自分のチェロの音を聴いている。
突き詰めると、本当は自分とはどんな人間か、ということすら分かっていないのかも知れませんね。
そう考えると、人の存在など実に頼りないというか儚いものですね! 意識を感じる部分など、目の周り少しの領域に限られているのですから。
意識とは本当に不思議なものです。
人間の感覚などほんとに不思議なものですよね!
終
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