私達がチェロなど楽器を演奏するときに陥りやすいこととは何か?
それはまず楽器という道具を扱うことだけに全神経を使ってしまう、ということではないでしょうか?つまり楽器を扱うことで頭がいっぱい。肝心の音楽することを忘れている。
よく楽器をやる人の会話を聞いていると、楽器の良し悪し、弦どうのこうの、エンドピンがどうした、良くてもどこそこの部分の指使いがどうのこうの、といった内容ばかり。これらも大切なことには違いないのですが、どれも二次的なもの。早く言ってしまえばどっちでもよいこと。肝心なことを忘れています。
道具の扱いという観点から見ると、楽器の扱いで発生することなど(奏法)、問題点がとても分かりやすい。たとえ指使いもでも音楽的に理想的なものはあるでしょうが、最終的には本人が楽かそうではないかだけの問題。ある意味単純です。分かりやすいもの楽なものに流されやすい、という人間の性とは言え、興味の対象が道具の扱いのみ、これは考えてみると寂しいことです。
ですから、出てくる音は、ただ「音符をなぞっただけ」、合奏なら、ただぴったりとタイミングを「合わせることだけ」に全身全霊をかけた、という演奏になりやすいのです。
音楽にとって本当に必要なものとは何か?
それはまず心です。心を伝達すること。これは簡単そうで難しい!
人同士、心を伝える時に必要なものは身振り手振り(発展した形が舞踊)とかあるでしょうが、やはり必要なのは言葉であり話すことではないでしょうか。いやそれ以前に伝えよう共感しようとする、その人のオーラというか気迫だと思います。
人に心を伝えようとする気迫のある言葉、
それが音楽では、一般的な意味での歌うことなのです。歌は音楽の言語なのです。
歌うことなしに音楽は成立しません。たとえ器楽で歌詞はなくとも音は常に歌っていなければならない。
心を込めて気迫をもって話す(演奏する)、それは言霊、音霊(音霊、こんな言葉はなと思いますが、、好きな言葉です)となり必ず人々に伝わります。場合によれば大きな感動を与えるでしょう。
時々、さりげない態度なのにある人がその場にいるだけでその場が明るくなる、これは本人の努力ではどうしようもない。これこそ才能。音楽においてこれを兼ね備えている人こそ才能豊かな人と呼ばれるのです。そうてなくても、凡人であっても、ひたむきな心の叫びは必ず人に伝わります。
また、言葉で伝えきれなかったが気持ちがメロディーを生む、とも考えられます。言葉にメロディーを付けることで相手により気持ちを伝え安くなるからです。
セレナーデなどもそうですし、例えば古来より宗教には音楽が欠かせませんでした。
当然なことです。声明やミサ曲、レクイエムしかり。
気持ちの伝達、つまり音楽の基本は歌うことであり話すことにあります。
楽器は道具。声帯の代用品にしか過ぎません。
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