事の発端

さて私がチェロを始めたのは高校2年生の時です。その頃は大阪音大の附属高校に通っていました。専攻はフルート。フルートは中学2年から始め、必死で練習して入試に受かったのです。高校生にしてはかなり難しい曲も吹きこなしていました。
当初は将来、フルーティストになるつもりで音高に入ったのですが、周りの同じフルートをやっている学生を見てもフルート界全体を見ても何故かその世界が自分には合わない、自分の性格にはフルートという楽器が合っていないのでは、という感覚に常に捕われておりました。  すべて、どこかチャラチャラしているのです。学生も約9割が女子で緊張感はゼロ。お嬢様芸の世界でした。今が楽しければそれでよし、ということになりがちな年頃ではありますが、少なくとも音楽で仕事がしたいと思って飛び込んだ自分が思っている世界とはかなり違った環境でした。

高校で吹く曲は19世紀末から20世紀前半のフランス音楽が主体。この時代のフランスのフルート曲といえばタファネル、ゴーベール、トゥルー、シャミナードなど等(皆さん、聞いたことがない名前ばかりでしょう?)、とにかく“音符が多く”ド派手で表面的な曲が多い。それでもその頃はわけもわからず、そういった曲をがむしゃらに練習しておりました。精神的深みのあるドイツ系音楽はなかなかやらせてもらえなかった。やっとやらせてもらったバッハのソナタはスラーだらけ。今では考えられないことですが、先生がすべてスラー(バッハ原典には長いスラーはない事が多い)を何のためらいもなく楽譜に書き込むのです。
当時楽譜は自分を表現する単なる素材に過ぎないというロマン的(表現主義的、または表現過剰的)な考え方が依然として主流だったのです。
スラーを変えるということは、曲を改造することと同じです。たとえあの悪名高いペータース版であってもアーティキュレーションを変えるのはそれなりの根拠が必要となりますので、変更には“相当な勇気”が要ります。しかしそのような“蛮行”は当時の音楽界では極普通の習慣で、何の疑いもなく行われていました。
その頃、何も知らなく無知な(初な)私は詳しいことは理解するべくもなかったのですが、それでも何かがちがうのではないか、というウジウジとした疑問は常に持って高校に通っていたのは事実です。
そこで救いとなったのは大学の図書館です。その曲が出来た頃の歴史的背景、演奏習慣に関する本を読みあさりました。レコードの収蔵数も多かったので授業以外は図書館にはほぼ入り浸り状態でした。