其ノ三

前期バロックの時代、バイオリンが台頭する前、弦楽器の主流はヴィオールの仲間の楽器だったということは先にも申し上げた通りです。初めバイオリンの音はむしろ“うるさくて品のないもの”として捉えられていたようです。音楽が天上(宗教)の音楽から貴族さらに民衆へと下り門戸が開かれるようになると、次第にバイオリンのような大きな音が持て囃されるようになっていったというのは当然の成り行きでしょう。ヴィオラ・ダ・ガンバなど優雅で天国的な音色のヴィオール族の楽器も次第に音の大きなバイオリンやチェロに取って代わるようになってきました。バッハのケーテン宮廷時代の同僚であるクリスティアン・フェルディナント・アーベルという名ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者はガンバに見切りをつけてチェロ奏者に転身、その後、ドイツチェロ楽派をヨーロッパの主流なチェロ演奏の伝統に押し上げたことは有名です。
尚、アーベルの存在はバッハにあの無伴奏チェロ組曲6曲を書かせる直接のきっかけを与えたと言われています。(第4番はライプチヒで書かれましたが。)
バッハの生きた後期バロックの時代、音楽では少し遅れていたドイツにおいて相変わらずガンバなどのヴィオールが弾かれていたことは音楽史において、とても意味があります。なぜなら我々はバッハやテーレマンなどによって、ガンバのためにかかれたあの数多くの傑作を手にすることが出来たのですから。しかしバッハが活躍していたころ、当時の音楽界はマンハイム楽派を中心とする前期古典派の時代に入りつつありバッハの音楽は当然のように時代遅れと見なされていました。
バッハが自分の芸術感をその時代の流行に合わせていたら我々はあの傑作の数々を聴くことができなかったかも知れない、と考えると感慨深いものがあります。バッハのバイオリンソナタの通奏低音にはチェロでなくヴィオラ・ダ・ガンバを指定しているしブランデンブルク協奏曲第6番などヴィオラ・ダ・ガンバが大活躍します。新しいものと古いものとの融合ということで大変意味深いものです。
私の個人的な考えで申し上げますと、ヴィオール族衰退の原因として、その楽器の弦の多さを原因とする調弦の困難さもあるのではないでしょうか。ヴィオラ・ダ・ガンバの弦で6本から7本ありヴィオラ・ダモーレやヴィオラ・ダ・ガンバの変種であるバリトンなどは実際に演奏する弦の他により多くの共鳴弦(演奏弦の下に張られています)が張られています。初めに合わせた弦は最後の弦を合わせた頃にはもうすでにズレていることも!この弦の多さではやはり調弦がとても難しく、時間もかかるので現代に比べてすべてがゆったりしていたバロックの時代とは言え、やはり人の気持ちや人気はバイオリン族の楽器に傾いていったことは当然で容易に想像がつきます。それは自然の成り行きともいえます。